REPORT

【Vol.42】DAI 2 CREW感謝祭2025を終えて|イベントレポート

【Vol.42】DAI 2 CREW感謝祭2025を終えて|イベントレポート

リベンジー 2025年3月15日、16日の2日間、秋葉原にて開催された”DAI2 CREW感謝祭2025”は大盛況で幕を閉じた。 ”だいにらんど”をテーマにコンテンツがふんだんに盛り込まれたこのイベントはまさにだいにぐるーぷが創るエンタメの集大成と言えるだろう。 そんな本イベントについて、だいにぐるーぷリーダーである岩田涼太に振り返ってもらった。 ーまずは2日間の感謝祭、お疲れ様でした。今回”だいにらんど”っていうコンセプトだったと思うのですが、このイベントの構想はいつ頃からできていたのでしょうか? 岩田:大枠の枠組みに関しては、わりと2、3年前くらいからありましたね。でも具体的なコンテンツの中身、ゲームエリアだったりレースエリアだったりっていうのは12月くらいじゃないかな。 ゲームエリア(ルーレット) ゲームエリア(大食いレース中) ーかなりのコンテンツが盛り込まれていたと思うんですが、一番苦労したのはどういった部分でしょうか? 岩田:どこだろう、やっぱり飲食エリアだと思います。僕が苦労したわけじゃないんですが、保健所の許可とかね。当日の朝にやっと許可が降りて、よくやったと思います。 岩田:あとはフードのメニューを作るとか仕入れとか諸々大変そうでしたね。初日とかも中は結構ピリピリしてたしかなりやばかったんじゃないかな。 飲食エリア(須藤食堂、アメリカンレストラン、スイーツバーバラ) 岩田:でもやっぱ飲食に限らず許可どりはめちゃくちゃ苦労しました。 岩田:僕は今回ディレクターみたいな立ち位置で、プロデューサーとして頑張ってくれてたのが西尾なんですよ。僕は「こういうのがやりたい」って言うのを12月くらいに作って、年明けから西尾がどう実現させるのかっていう役割分担でやっていました。 岩田:やっぱりゲームエリアに関しては弁護士に話を通して、どういうルール設計ならOKなのかっていうように調整していって、なんとか乗り越えた先で会場側からNG食らったりしましたね。 岩田:動画とかでも出てましたけど、西尾とかは「もうこれは別のプランで行くしかない」と。でも僕の中でゲームエリアは今回の肝みたいな立ち位置だったので、最後の最後までできる限りのことはやりたいなと思って、なんとか許可が下りたって感じです。 ゲームエリア(バカラ) ーだいぶ苦労して勝ち取ったコンテンツだったんですね。 岩田:そうですね、会場側から最初無理ですみたいな感じで来てたんですけど、それを「どこが無理でしょうか」って別のプランを提示して、弁護士に書面を作ってもらって。 岩田:会場側にもだいぶ理解があったのもあって最終的にはいいですよって許してもらえました。これを飲食エリアの保健所バージョンもあったので、大きく許可どりは苦労しましたね。 ーエリアの名前も途中からカジノ→ゲーム、ウインズ→レースに変更になっていたのは許可の関係があったんですね。 岩田:そうそう。それとかも西尾以外があんま把握していなくて、初日のオープニングセレモニーとかで会場の関係者もいるのに「カジノもありますからね」とか「ウインズエリアが〜」とかメンバーが言っちゃって西尾に怒られましたね。 岩田:大変だったといえばあとはグッズかな。景品の発注数がもう異常なくらいだったのと、Dai2BBとか野球部タオルとかいろいろあって、それぞれの担当が西尾、じゅんや、なつだったのでこの3人がめちゃくちゃ大変だったと思います。 Dai2BBラグランTシャツ ゆるキャラTシャツ(しぼみT) ー大変だったことといえば、DAI2 MAGAZINE収録のだいに名鑑にて、「(感謝祭について)全部はできねえぞ」と西尾さんから物申されていましたが、どんな無理難題を押しつけたのでしょうか? 岩田:無理難題言いますよ、僕は。なんか、宿命というか。動画でもそうですが、企画の構想段階が一番MAXのプランがでるじゃないですか。 岩田:カジノの構想とか景品交換の構想とかそういうのが100%だとしたら、やっぱり現実的に成立させるために徐々に妥協妥協で落ちていくものなんですよ。...

【Vol.42】DAI 2 CREW感謝祭2025を終えて|イベントレポート

リベンジー 2025年3月15日、16日の2日間、秋葉原にて開催された”DAI2 CREW感謝祭2025”は大盛況で幕を閉じた。 ”だいにらんど”をテーマにコンテンツがふんだんに盛り込まれたこのイベントはまさにだいにぐるーぷが創るエンタメの集大成と言えるだろう。 そんな本イベントについて、だいにぐるーぷリーダーである岩田涼太に振り返ってもらった。 ーまずは2日間の感謝祭、お疲れ様でした。今回”だいにらんど”っていうコンセプトだったと思うのですが、このイベントの構想はいつ頃からできていたのでしょうか? 岩田:大枠の枠組みに関しては、わりと2、3年前くらいからありましたね。でも具体的なコンテンツの中身、ゲームエリアだったりレースエリアだったりっていうのは12月くらいじゃないかな。 ゲームエリア(ルーレット) ゲームエリア(大食いレース中) ーかなりのコンテンツが盛り込まれていたと思うんですが、一番苦労したのはどういった部分でしょうか? 岩田:どこだろう、やっぱり飲食エリアだと思います。僕が苦労したわけじゃないんですが、保健所の許可とかね。当日の朝にやっと許可が降りて、よくやったと思います。 岩田:あとはフードのメニューを作るとか仕入れとか諸々大変そうでしたね。初日とかも中は結構ピリピリしてたしかなりやばかったんじゃないかな。 飲食エリア(須藤食堂、アメリカンレストラン、スイーツバーバラ) 岩田:でもやっぱ飲食に限らず許可どりはめちゃくちゃ苦労しました。 岩田:僕は今回ディレクターみたいな立ち位置で、プロデューサーとして頑張ってくれてたのが西尾なんですよ。僕は「こういうのがやりたい」って言うのを12月くらいに作って、年明けから西尾がどう実現させるのかっていう役割分担でやっていました。 岩田:やっぱりゲームエリアに関しては弁護士に話を通して、どういうルール設計ならOKなのかっていうように調整していって、なんとか乗り越えた先で会場側からNG食らったりしましたね。 岩田:動画とかでも出てましたけど、西尾とかは「もうこれは別のプランで行くしかない」と。でも僕の中でゲームエリアは今回の肝みたいな立ち位置だったので、最後の最後までできる限りのことはやりたいなと思って、なんとか許可が下りたって感じです。 ゲームエリア(バカラ) ーだいぶ苦労して勝ち取ったコンテンツだったんですね。 岩田:そうですね、会場側から最初無理ですみたいな感じで来てたんですけど、それを「どこが無理でしょうか」って別のプランを提示して、弁護士に書面を作ってもらって。 岩田:会場側にもだいぶ理解があったのもあって最終的にはいいですよって許してもらえました。これを飲食エリアの保健所バージョンもあったので、大きく許可どりは苦労しましたね。 ーエリアの名前も途中からカジノ→ゲーム、ウインズ→レースに変更になっていたのは許可の関係があったんですね。 岩田:そうそう。それとかも西尾以外があんま把握していなくて、初日のオープニングセレモニーとかで会場の関係者もいるのに「カジノもありますからね」とか「ウインズエリアが〜」とかメンバーが言っちゃって西尾に怒られましたね。 岩田:大変だったといえばあとはグッズかな。景品の発注数がもう異常なくらいだったのと、Dai2BBとか野球部タオルとかいろいろあって、それぞれの担当が西尾、じゅんや、なつだったのでこの3人がめちゃくちゃ大変だったと思います。 Dai2BBラグランTシャツ ゆるキャラTシャツ(しぼみT) ー大変だったことといえば、DAI2 MAGAZINE収録のだいに名鑑にて、「(感謝祭について)全部はできねえぞ」と西尾さんから物申されていましたが、どんな無理難題を押しつけたのでしょうか? 岩田:無理難題言いますよ、僕は。なんか、宿命というか。動画でもそうですが、企画の構想段階が一番MAXのプランがでるじゃないですか。 岩田:カジノの構想とか景品交換の構想とかそういうのが100%だとしたら、やっぱり現実的に成立させるために徐々に妥協妥協で落ちていくものなんですよ。...

【Vol.41】感謝祭の裏側|スタッフレポート

【Vol.41】感謝祭の裏側|スタッフレポート

感謝祭の裏側ー 間もなく開催 DAI2 CREW感謝祭2025 2025年3月15日(土)/16日(日)「AKIBA_SQUARE」(東京都・千代田区)にて「DAI2 CREW感謝祭2025」が開催される。 『特別物販』や『屋台エリア』に加え、須藤完全監修の「須藤食堂」をはじめとした『飲食エリア』、だいにイズム満載の『ゲームエリア』や『レースエリア』がDAI2 CREWを迎え入れる。規模感もさることながらアトラクションの充実感も「感謝祭2024」から大幅にバージョンアップされた本イベント。その裏側を大野菜摘と永徳隼也に語ってもらう。 ―「感謝祭2025」での担当とこだわりポイントは? じゅんや:飲食チームを担当をしています。「感謝祭2024」では自分たちでフードを提供することができなかったのですが、今回は保健所とやりとりをして、原材料の仕入れから全て自分たちで作ります。 じゅんや:フードの注目ポイントでいうと、『須藤食堂』の『豚丼』は、須藤が実際に家で作っている豚丼をそのまま作ったものです。須藤オリジナルなので、ぜひ皆さんに食べてほしいですね! じゅんや:あとは『SWEETS BARBARA』のパフェで使っているイチゴソース。これは僕の完全オリジナルなんです。満足いくまで何度も試作しました。正直、市販のものとは比べ物にならないくらい美味しいです。…ハードル上げすぎたかな?でも本当に美味しいので! じゅんや:ハンバーガーも試行錯誤を繰り返して、最初に作ったものより格段に美味しいものになりました。頑張って作ったものばかりですので、みなさん食べてください! なつ:グッズや景品の制作、飲食業務、あとは当日のオペレーションを統括しています。感謝祭で販売するグッズは「ファン」に向けたアイテムを意識して作りました。 なつ:例えば、今回のグッズに「ゆるキャラTシャツ」というものがあるんですけど、ゆるキャラがしぼんでいるグラフィックをあえて採用しました。ゆるキャラ=可愛らしいってイメージがあると思うんですけど、そこは「だいにっぽさ」を意識して、しぼんだポーズを採用しました。 なつ:グッズ以外でいうと、当日の運営でも「だいにっぽさ」というのは大切にしています。イベントスタッフの子たちには「だいにらしくいこう!」とよく言っています。 なつ:少し意地悪なルールのアトラクションがある一方で、クオリティ面は常に高いものを追求する。そういったところに「だいにっぽさ」って出せているのかな、と思いますね。 なつ:あとは「感謝祭2024」での教訓を活かして、特に当日のオペレーションに関してはイベントスタッフの皆さんと何度も打ち合わせを行い綿密にシミュレーションしています。 ―「感謝祭2025」を開催するにあたり「感謝祭2024」とはどのように向き合いましたか? なつ:これは周りに言われて気付いたことですが、私の中で「感謝祭2024」というのはある種のトラウマになっていました。皆さんの前で涙ぐんでしまったことを今でも覚えています。 なつ:「感謝祭2025」は何としてでも全員がイベントに参加できるよう、各ブースの所要時間や人員配置など何度も何度もシミュレーションしています。メンバーからは「去年のことに引っ張られすぎている」と言われますが、それくらい私の中で「感謝祭2024」というものは大きいので。 なつ:そんな中で、「感謝祭2025」へのモチベーションを保てていたのは、ファンの人がファンで居続けてくれたからです。私の反省の言葉に対する優しい言葉や「感謝祭2025」の開催を応援してくれる言葉はとても大きかったです。 なつ:あとは「感謝祭2024」が終わったあと、岩田に「今回の責任者はなつなんだから、今回のミスはなつのミスだよね。おれはなつができると思っているから任せているし、頑張ってほしいと思っている」と言われことも私の中では「感謝祭2025」への活力になりました。「この期待に応えたい」と思いましたね。 なつ:ファンのみなさんやメンバーの言葉で不安が払拭されて、「感謝祭」へのリベンジ、かつ、バ-ジョンアップへのわくわく感が生まれました。 じゅんや:「感謝祭2024」は僕たちの中では失敗でした。僕たちが「失敗」という言葉を使ってはいけないかもしれないけれど、「成功」には程遠かったです。それでも、声をかけてくれるファンの人はすごく優しくて。僕たちの失敗を責めるのではなく「次へ活かしてほしい」と言ってくれる。そんな言葉があったから、僕たちは次に進めたのだと思います。 ―「感謝祭2025」をどのようなイベントにしたいですか? じゅんや:行列ができて遊べなかった、ということはあるかもしれない。全てのイベントを体験できないかもしれない。それでも、「宝さがしが面白かった」「須藤さんが作った豚丼が美味しかった」そういう思い出を1つでも持ち帰ってもらえるような、そんなイベントにしたいです。 なつ:ミスがあるのは仕方ないと思うんです。ただ、何かトラブルが起きた時にしっかりと対応できて、来てくれた人たちに満足して帰ってほしい。それから、帰った後にSNSで「楽しかった」って言ってもらえるようなイベントにしたいと思います。 ―「DAI2...

【Vol.41】感謝祭の裏側|スタッフレポート

感謝祭の裏側ー 間もなく開催 DAI2 CREW感謝祭2025 2025年3月15日(土)/16日(日)「AKIBA_SQUARE」(東京都・千代田区)にて「DAI2 CREW感謝祭2025」が開催される。 『特別物販』や『屋台エリア』に加え、須藤完全監修の「須藤食堂」をはじめとした『飲食エリア』、だいにイズム満載の『ゲームエリア』や『レースエリア』がDAI2 CREWを迎え入れる。規模感もさることながらアトラクションの充実感も「感謝祭2024」から大幅にバージョンアップされた本イベント。その裏側を大野菜摘と永徳隼也に語ってもらう。 ―「感謝祭2025」での担当とこだわりポイントは? じゅんや:飲食チームを担当をしています。「感謝祭2024」では自分たちでフードを提供することができなかったのですが、今回は保健所とやりとりをして、原材料の仕入れから全て自分たちで作ります。 じゅんや:フードの注目ポイントでいうと、『須藤食堂』の『豚丼』は、須藤が実際に家で作っている豚丼をそのまま作ったものです。須藤オリジナルなので、ぜひ皆さんに食べてほしいですね! じゅんや:あとは『SWEETS BARBARA』のパフェで使っているイチゴソース。これは僕の完全オリジナルなんです。満足いくまで何度も試作しました。正直、市販のものとは比べ物にならないくらい美味しいです。…ハードル上げすぎたかな?でも本当に美味しいので! じゅんや:ハンバーガーも試行錯誤を繰り返して、最初に作ったものより格段に美味しいものになりました。頑張って作ったものばかりですので、みなさん食べてください! なつ:グッズや景品の制作、飲食業務、あとは当日のオペレーションを統括しています。感謝祭で販売するグッズは「ファン」に向けたアイテムを意識して作りました。 なつ:例えば、今回のグッズに「ゆるキャラTシャツ」というものがあるんですけど、ゆるキャラがしぼんでいるグラフィックをあえて採用しました。ゆるキャラ=可愛らしいってイメージがあると思うんですけど、そこは「だいにっぽさ」を意識して、しぼんだポーズを採用しました。 なつ:グッズ以外でいうと、当日の運営でも「だいにっぽさ」というのは大切にしています。イベントスタッフの子たちには「だいにらしくいこう!」とよく言っています。 なつ:少し意地悪なルールのアトラクションがある一方で、クオリティ面は常に高いものを追求する。そういったところに「だいにっぽさ」って出せているのかな、と思いますね。 なつ:あとは「感謝祭2024」での教訓を活かして、特に当日のオペレーションに関してはイベントスタッフの皆さんと何度も打ち合わせを行い綿密にシミュレーションしています。 ―「感謝祭2025」を開催するにあたり「感謝祭2024」とはどのように向き合いましたか? なつ:これは周りに言われて気付いたことですが、私の中で「感謝祭2024」というのはある種のトラウマになっていました。皆さんの前で涙ぐんでしまったことを今でも覚えています。 なつ:「感謝祭2025」は何としてでも全員がイベントに参加できるよう、各ブースの所要時間や人員配置など何度も何度もシミュレーションしています。メンバーからは「去年のことに引っ張られすぎている」と言われますが、それくらい私の中で「感謝祭2024」というものは大きいので。 なつ:そんな中で、「感謝祭2025」へのモチベーションを保てていたのは、ファンの人がファンで居続けてくれたからです。私の反省の言葉に対する優しい言葉や「感謝祭2025」の開催を応援してくれる言葉はとても大きかったです。 なつ:あとは「感謝祭2024」が終わったあと、岩田に「今回の責任者はなつなんだから、今回のミスはなつのミスだよね。おれはなつができると思っているから任せているし、頑張ってほしいと思っている」と言われことも私の中では「感謝祭2025」への活力になりました。「この期待に応えたい」と思いましたね。 なつ:ファンのみなさんやメンバーの言葉で不安が払拭されて、「感謝祭」へのリベンジ、かつ、バ-ジョンアップへのわくわく感が生まれました。 じゅんや:「感謝祭2024」は僕たちの中では失敗でした。僕たちが「失敗」という言葉を使ってはいけないかもしれないけれど、「成功」には程遠かったです。それでも、声をかけてくれるファンの人はすごく優しくて。僕たちの失敗を責めるのではなく「次へ活かしてほしい」と言ってくれる。そんな言葉があったから、僕たちは次に進めたのだと思います。 ―「感謝祭2025」をどのようなイベントにしたいですか? じゅんや:行列ができて遊べなかった、ということはあるかもしれない。全てのイベントを体験できないかもしれない。それでも、「宝さがしが面白かった」「須藤さんが作った豚丼が美味しかった」そういう思い出を1つでも持ち帰ってもらえるような、そんなイベントにしたいです。 なつ:ミスがあるのは仕方ないと思うんです。ただ、何かトラブルが起きた時にしっかりと対応できて、来てくれた人たちに満足して帰ってほしい。それから、帰った後にSNSで「楽しかった」って言ってもらえるようなイベントにしたいと思います。 ―「DAI2...

【Vol.40】ギャンブル狂|土井谷レポート

【Vol.40】ギャンブル狂|土井谷レポート

ギャンブル狂ー 自他ともに認めるギャンブル狂、土井谷誠一は宣言する。 「いつか当たるって信じてやり続けます。」  常に借金を抱えているイメージの土井谷誠一だが、実際彼の借金額はどのように推移していたのだろうか。一度、彼の債務遍歴を整理してみようではないか。 ― ギャンブル禁止の1年間を振り返ってみて、どうでしたか? 土井谷:僕ギャンブル依存症なんですけど、意外ときつかったのは最初の2か月目までです。それ以降はギャンブルを無いものとして生活しました。 土井谷:ただREBORNが終わった後、飯野岩田西尾でカジノに行ってた時は流石にやりたかったです。丁度折り返しぐらいの時期で、最大の難関でした。 土井谷:耐える為に一人で観光してたら、15万ずつぐらい負けた飯野と西尾が絶望的な顔してて。耐えて良かったなって思いました。賭けた奴がめっちゃ負けてる状態は一番気持ちいいです。(笑) ― 昨年の例の禊は、いかがでしたか? 土井谷:まあ仕事でしたしね。世論を黙らせるにはやるしかないかなって。仕事の兼ね合いもあったし色々ややこしかったから、僕がケツ拭いてやったって感じです。 ギャンブル1年禁止ルールを破った禊動画 ― ギャンブル禁止の最初2か月と禊はどちらが辛かったですか? 土井谷:圧倒的に2か月です。禊もめっちゃ嫌だけど、最悪ちゃんと消毒すれば良いので。 土井谷:あと、金銭事情もありますね。当たり前だけど、給料以上にお金が増えないじゃないですか。この中で借金を返し続けるしかないって感覚が辛かったです。 ― 返済しても再び借金をしてしまうのは何故なのでしょうか。 土井谷:僕計画性が無くて、例えば口座に8万円あって借金が7万6千円だと全部一旦返したくなるんですよね。その後残り4千円じゃ足りなくて、また借りる。 土井谷:体力の配分を考えずにゴールだけ目指して、またゴールを自分で先延ばしにしてしまいます。だから3回ぐらい完済してるんです。 ― いよいよ今年からギャン鬼解禁ですね。現在の借金額と返済プランを教えてください。 土井谷:返済プランは…正直な話毎月ちゃんとしとけば返せるじゃないですか。ただ昔とは考え方が変わって、そもそも借金ってそんなに悪い事なのかなって思うようになりました。 土井谷:意外と大人もローンとかだけど借金してるし。借金の良く無い所って金利が付く点くらいだと思うので、今後は人に借りたいです。無金利の所に。ガンガンしていこうかなって。 土井谷:競馬については、大きいリターンを狙って今のまま賭け続けます。 ― 競馬はどんな賭け方をする予定ですか? 土井谷:以前まで馬連が好きでしたが、最近は三連複か三連単も悩んでます。 土井谷:因みに、複勝は異常な奴が賭けるものです。倍率が低い分、大きく賭ける人が多いんですよね。当たるの気持ちよさよりも、外れなかった事への安心感で賭けてる都が多いと思います。外れなくて良かった、みたいな。...

【Vol.40】ギャンブル狂|土井谷レポート

ギャンブル狂ー 自他ともに認めるギャンブル狂、土井谷誠一は宣言する。 「いつか当たるって信じてやり続けます。」  常に借金を抱えているイメージの土井谷誠一だが、実際彼の借金額はどのように推移していたのだろうか。一度、彼の債務遍歴を整理してみようではないか。 ― ギャンブル禁止の1年間を振り返ってみて、どうでしたか? 土井谷:僕ギャンブル依存症なんですけど、意外ときつかったのは最初の2か月目までです。それ以降はギャンブルを無いものとして生活しました。 土井谷:ただREBORNが終わった後、飯野岩田西尾でカジノに行ってた時は流石にやりたかったです。丁度折り返しぐらいの時期で、最大の難関でした。 土井谷:耐える為に一人で観光してたら、15万ずつぐらい負けた飯野と西尾が絶望的な顔してて。耐えて良かったなって思いました。賭けた奴がめっちゃ負けてる状態は一番気持ちいいです。(笑) ― 昨年の例の禊は、いかがでしたか? 土井谷:まあ仕事でしたしね。世論を黙らせるにはやるしかないかなって。仕事の兼ね合いもあったし色々ややこしかったから、僕がケツ拭いてやったって感じです。 ギャンブル1年禁止ルールを破った禊動画 ― ギャンブル禁止の最初2か月と禊はどちらが辛かったですか? 土井谷:圧倒的に2か月です。禊もめっちゃ嫌だけど、最悪ちゃんと消毒すれば良いので。 土井谷:あと、金銭事情もありますね。当たり前だけど、給料以上にお金が増えないじゃないですか。この中で借金を返し続けるしかないって感覚が辛かったです。 ― 返済しても再び借金をしてしまうのは何故なのでしょうか。 土井谷:僕計画性が無くて、例えば口座に8万円あって借金が7万6千円だと全部一旦返したくなるんですよね。その後残り4千円じゃ足りなくて、また借りる。 土井谷:体力の配分を考えずにゴールだけ目指して、またゴールを自分で先延ばしにしてしまいます。だから3回ぐらい完済してるんです。 ― いよいよ今年からギャン鬼解禁ですね。現在の借金額と返済プランを教えてください。 土井谷:返済プランは…正直な話毎月ちゃんとしとけば返せるじゃないですか。ただ昔とは考え方が変わって、そもそも借金ってそんなに悪い事なのかなって思うようになりました。 土井谷:意外と大人もローンとかだけど借金してるし。借金の良く無い所って金利が付く点くらいだと思うので、今後は人に借りたいです。無金利の所に。ガンガンしていこうかなって。 土井谷:競馬については、大きいリターンを狙って今のまま賭け続けます。 ― 競馬はどんな賭け方をする予定ですか? 土井谷:以前まで馬連が好きでしたが、最近は三連複か三連単も悩んでます。 土井谷:因みに、複勝は異常な奴が賭けるものです。倍率が低い分、大きく賭ける人が多いんですよね。当たるの気持ちよさよりも、外れなかった事への安心感で賭けてる都が多いと思います。外れなくて良かった、みたいな。...

【Vol.39】飯野太一の美容学|飯野レポート

【Vol.39】飯野太一の美容学|飯野レポート

飯野太一の美容学ー 「スキンケアが知りたい!」「お肌がきれいすぎる!」という視聴者の声が後を絶たない。 美肌の呼び声が高いそのメンバーは、飯野太一である。彼は一体どのようにして、その美しさを保っているのだろうか。 遂に、自身のスキンケアルーティンの全貌を公開してくれた。 飯野太一の肌質:顔は脂性肌だが、身体は比較的乾燥する ー夜のルーティン 1.クレンジング日焼け止めを塗っていても塗っていなくてもクレンジングをします。 【Dr.Recella】ピュアモイスチャークレンジング/150g 2.洗顔泡立てネットを使って洗顔します。Dr.Recellaは固形石鹸で泡立てないといけないので、便利なチューブタイプのカウブランドを使ってるんですけど…よく考えたら泡立てる手間は同じなので、今後はDr.Recellaの洗顔にします。(笑) 【カウブランド】無添加うるおい洗顔 3.シートマスク洗顔後顔を拭き取り、パックを付けます。MEGUMIさんがパックは毎日した方がいいって言ってたので、毎日してます。(笑) 【ALLNA ORGANIC】フェイスマスク/30枚入 4.美容液毎日ではないですが、その日の肌の調子に合わせ、マスクの後に美容液を使います。全てDr.Recellaで、2,3種類持っています。美容液を使うのは週に1,2回ほどです。 【Dr.Recella】リッチホワイトエッセンス30ml 5.化粧水特に肌で気になる事が無い日はマスクの後に化粧水を付けます。スプレータイプなので、ササっと済ませることができます。 【Dr.Recella】ピュアモイスチャーウォーター/150ml 6.乳液冬場は乳液を使います。夏場だとべたついてしまうので、化粧水で終わる事がほとんどです。 【Dr.Recella】スーパーホワイトエクストラ 30g ー朝のルーティン 1.洗顔水でササっと顔を洗います 2.シートマスク時間があるときはパックを付けます。 【ALLNA ORGANIC】フェイスマスク/30枚入 3.化粧水夜と同じ化粧水を付けます。 【Dr.Recella】ピュアモイスチャーウォーター/150ml 4.日焼け止め最後に日焼け止めを顔と体に塗ります。 【Dr.Recella】サンカットシャワーファンデイン(ベージュ) 40ml 以上が飯野太一の美容ルーティンとなります。...

【Vol.39】飯野太一の美容学|飯野レポート

飯野太一の美容学ー 「スキンケアが知りたい!」「お肌がきれいすぎる!」という視聴者の声が後を絶たない。 美肌の呼び声が高いそのメンバーは、飯野太一である。彼は一体どのようにして、その美しさを保っているのだろうか。 遂に、自身のスキンケアルーティンの全貌を公開してくれた。 飯野太一の肌質:顔は脂性肌だが、身体は比較的乾燥する ー夜のルーティン 1.クレンジング日焼け止めを塗っていても塗っていなくてもクレンジングをします。 【Dr.Recella】ピュアモイスチャークレンジング/150g 2.洗顔泡立てネットを使って洗顔します。Dr.Recellaは固形石鹸で泡立てないといけないので、便利なチューブタイプのカウブランドを使ってるんですけど…よく考えたら泡立てる手間は同じなので、今後はDr.Recellaの洗顔にします。(笑) 【カウブランド】無添加うるおい洗顔 3.シートマスク洗顔後顔を拭き取り、パックを付けます。MEGUMIさんがパックは毎日した方がいいって言ってたので、毎日してます。(笑) 【ALLNA ORGANIC】フェイスマスク/30枚入 4.美容液毎日ではないですが、その日の肌の調子に合わせ、マスクの後に美容液を使います。全てDr.Recellaで、2,3種類持っています。美容液を使うのは週に1,2回ほどです。 【Dr.Recella】リッチホワイトエッセンス30ml 5.化粧水特に肌で気になる事が無い日はマスクの後に化粧水を付けます。スプレータイプなので、ササっと済ませることができます。 【Dr.Recella】ピュアモイスチャーウォーター/150ml 6.乳液冬場は乳液を使います。夏場だとべたついてしまうので、化粧水で終わる事がほとんどです。 【Dr.Recella】スーパーホワイトエクストラ 30g ー朝のルーティン 1.洗顔水でササっと顔を洗います 2.シートマスク時間があるときはパックを付けます。 【ALLNA ORGANIC】フェイスマスク/30枚入 3.化粧水夜と同じ化粧水を付けます。 【Dr.Recella】ピュアモイスチャーウォーター/150ml 4.日焼け止め最後に日焼け止めを顔と体に塗ります。 【Dr.Recella】サンカットシャワーファンデイン(ベージュ) 40ml 以上が飯野太一の美容ルーティンとなります。...

【Vol.38】西から吹いた強い風|服部レポート

【Vol.38】西から吹いた強い風|服部レポート

服部 彰浩ー 2021年10月4日。X上にとある呟きがポストされた。 『この度、私服部は 「だいにぐるーぷ」に所属することになりました。彼らの目指す夢や目標の後押しをチートレベルでサポートしていきたいと思います』 多くのだいにぐるーぷファンからは驚きと戸惑いの声が上がった。「なんで?」「だいにぐるーぷに?」「そもそもこの人は誰?」 こうして津田沼の幼馴染集団の中に、たった1人で三重県からやってきた服部彰浩という男は、宣言通りにだいにぐるーぷをチートレベルでサポートした。近年のだいにぐるーぷの目覚ましい成長と活躍は服部なしでは考えられなかっただろう。 服部の笑いのセンス、冷静で俯瞰的な眼差し、そしてどんな時でも嘘をつかない直截的な物言いは、最初は戸惑っていたたくさんの視聴者を強く魅了しながらも、時には物議をかもすこともあった。まさに嵐のような男であった。 そして3年後の2024年11月。彼はこう宣言した。『僕は2025年 自身の成長と新たな挑戦のため、だいにぐるーぷを少しだけ離れる決断をしました』。 風のように現れ、だいにぐるーぷの背中を押し、新たな風を巻き起こし、時に嵐を呼んだ服部は、何を考えてどこに向かうのか。 だいにぐるーぷ随一の「語りたがらない男」が、ここだけの胸の内を明かしてくれた。 ー服部さんが三重県から上京して、千葉で活動している「だいにぐるーぷ」に加入することになったきっかけを教えてください。 服部:最初に僕のYouTubeチャンネルの登録者が100人も行くのか行かないかぐらいのときに、Twitterで飯野がツイートしてくれたっていうのがだいにぐるーぷに近づけた機会です。 服部:そもそも自分が化学会社を辞めて東京で何かしたいなと漠然と思ってたんですよ。そんな中、リスペクトしていただいにぐるーぷにツイートしてもらって、そこからDMでやり取りをして、サブチャンネルのアートワークとかを頼まれるようになって。服部:それから少し経って僕から「スタジオに1週間だけ行って社会勉強させてほしい」って岩田に連絡して、そこからだいにぐるーぷに誘ってもらい、入ることになりました。 ーだいにぐるーぷのアートワーク(デザイン)を手掛ける上でこだわっていることは何ですか? 服部:テレビとYouTubeの間のデザインを目指してます。テレビを真似しちゃうともちろんテレビになっちゃうし、ネット配信番組みたいななんかちょっとコテコテの感じにしちゃうと視聴者がやっぱりどうしても離れちゃうし、よくいるYouTuberみたいにダサくはしたくないし… 服部:よくYouTuberが制作会社にお金を出して、クオリティ高い動画を 月に1本配信したりするじゃないですか。それを見てもやっぱり再生数ってあんまり良くないし、再生維持率もそんなに良くない。コテコテ&小奇麗なものじゃなくて、YouTuberっぽいんだけど、奇麗でシンプルめなテロップっていうのは意識してます。 服部の初アートワークがサブに採用された時の動画 ー3年間のだいにぐるーぷの活動の中で一番楽しかったことは何ですか? 服部:野球ですかね。初めて試合をしたときは負けたんですけど、その日の「やっと野球ができた!」っていう喜びとかが溢れて、みんな楽しんでたんですよ。打ち上げで、田上さんっていう元プロ野球選手とまさか自分が飲めるなんて思わなかったし。 津田ロッテ初の試合動画 服部:その時の居酒屋のビールがキンキンに冷えてて、めっちゃうまかったんですよ。あの日はやっぱり楽しかったですね。ずっとサブチャンネルで津田ロッテを追ってたマニアとして自分が参加できる事と津田ロッテの貴重な一戦目に関われたのはほんとに嬉しかったです。 服部:あと2024年の有観客の野球イベントも楽しかったですね。「PEDRO逃亡」も同時並行で行ってたので大変でしたけど(笑)。2025年に行う有観客野球イベントはたぶん逃亡期間中ではないので、来場する皆さんを喜ばせる仕組みや対戦相手を用意できると思うので、それも楽しみにしてほしいですね。 津田ロッテ初めての有観客試合動画 ー逆に3年間で一番辛かったことは何ですか? 服部:なんだかんだで編集は辛いですね。特に去年の「REBORN」は辛かったですね。時間もなかったし、僕と土井谷の飯野の3人だけでほぼほぼ作ったので。 アメリカ最恐の心霊スポットで1週間生活してみた 服部:あと、メンバーシップ感謝祭2024も辛かったですね。当日は勿論楽しかったんですけど、準備だったりとかでもう寝れなかったですね。イベント当日の朝の5時まで作業やってたんで。 服部:あとは感謝祭当日に入れなかった人がいるのが本当に辛くて…、やっぱり視聴者目線で考えるとわざわざ来たのに入れないとか、並んではいけないとか、思い出すと本当に辛いなって感じですね。 2024年2月18日に開催された『感謝祭』...

【Vol.38】西から吹いた強い風|服部レポート

服部 彰浩ー 2021年10月4日。X上にとある呟きがポストされた。 『この度、私服部は 「だいにぐるーぷ」に所属することになりました。彼らの目指す夢や目標の後押しをチートレベルでサポートしていきたいと思います』 多くのだいにぐるーぷファンからは驚きと戸惑いの声が上がった。「なんで?」「だいにぐるーぷに?」「そもそもこの人は誰?」 こうして津田沼の幼馴染集団の中に、たった1人で三重県からやってきた服部彰浩という男は、宣言通りにだいにぐるーぷをチートレベルでサポートした。近年のだいにぐるーぷの目覚ましい成長と活躍は服部なしでは考えられなかっただろう。 服部の笑いのセンス、冷静で俯瞰的な眼差し、そしてどんな時でも嘘をつかない直截的な物言いは、最初は戸惑っていたたくさんの視聴者を強く魅了しながらも、時には物議をかもすこともあった。まさに嵐のような男であった。 そして3年後の2024年11月。彼はこう宣言した。『僕は2025年 自身の成長と新たな挑戦のため、だいにぐるーぷを少しだけ離れる決断をしました』。 風のように現れ、だいにぐるーぷの背中を押し、新たな風を巻き起こし、時に嵐を呼んだ服部は、何を考えてどこに向かうのか。 だいにぐるーぷ随一の「語りたがらない男」が、ここだけの胸の内を明かしてくれた。 ー服部さんが三重県から上京して、千葉で活動している「だいにぐるーぷ」に加入することになったきっかけを教えてください。 服部:最初に僕のYouTubeチャンネルの登録者が100人も行くのか行かないかぐらいのときに、Twitterで飯野がツイートしてくれたっていうのがだいにぐるーぷに近づけた機会です。 服部:そもそも自分が化学会社を辞めて東京で何かしたいなと漠然と思ってたんですよ。そんな中、リスペクトしていただいにぐるーぷにツイートしてもらって、そこからDMでやり取りをして、サブチャンネルのアートワークとかを頼まれるようになって。服部:それから少し経って僕から「スタジオに1週間だけ行って社会勉強させてほしい」って岩田に連絡して、そこからだいにぐるーぷに誘ってもらい、入ることになりました。 ーだいにぐるーぷのアートワーク(デザイン)を手掛ける上でこだわっていることは何ですか? 服部:テレビとYouTubeの間のデザインを目指してます。テレビを真似しちゃうともちろんテレビになっちゃうし、ネット配信番組みたいななんかちょっとコテコテの感じにしちゃうと視聴者がやっぱりどうしても離れちゃうし、よくいるYouTuberみたいにダサくはしたくないし… 服部:よくYouTuberが制作会社にお金を出して、クオリティ高い動画を 月に1本配信したりするじゃないですか。それを見てもやっぱり再生数ってあんまり良くないし、再生維持率もそんなに良くない。コテコテ&小奇麗なものじゃなくて、YouTuberっぽいんだけど、奇麗でシンプルめなテロップっていうのは意識してます。 服部の初アートワークがサブに採用された時の動画 ー3年間のだいにぐるーぷの活動の中で一番楽しかったことは何ですか? 服部:野球ですかね。初めて試合をしたときは負けたんですけど、その日の「やっと野球ができた!」っていう喜びとかが溢れて、みんな楽しんでたんですよ。打ち上げで、田上さんっていう元プロ野球選手とまさか自分が飲めるなんて思わなかったし。 津田ロッテ初の試合動画 服部:その時の居酒屋のビールがキンキンに冷えてて、めっちゃうまかったんですよ。あの日はやっぱり楽しかったですね。ずっとサブチャンネルで津田ロッテを追ってたマニアとして自分が参加できる事と津田ロッテの貴重な一戦目に関われたのはほんとに嬉しかったです。 服部:あと2024年の有観客の野球イベントも楽しかったですね。「PEDRO逃亡」も同時並行で行ってたので大変でしたけど(笑)。2025年に行う有観客野球イベントはたぶん逃亡期間中ではないので、来場する皆さんを喜ばせる仕組みや対戦相手を用意できると思うので、それも楽しみにしてほしいですね。 津田ロッテ初めての有観客試合動画 ー逆に3年間で一番辛かったことは何ですか? 服部:なんだかんだで編集は辛いですね。特に去年の「REBORN」は辛かったですね。時間もなかったし、僕と土井谷の飯野の3人だけでほぼほぼ作ったので。 アメリカ最恐の心霊スポットで1週間生活してみた 服部:あと、メンバーシップ感謝祭2024も辛かったですね。当日は勿論楽しかったんですけど、準備だったりとかでもう寝れなかったですね。イベント当日の朝の5時まで作業やってたんで。 服部:あとは感謝祭当日に入れなかった人がいるのが本当に辛くて…、やっぱり視聴者目線で考えるとわざわざ来たのに入れないとか、並んではいけないとか、思い出すと本当に辛いなって感じですね。 2024年2月18日に開催された『感謝祭』...

【Vol.37】土井谷と白セレナの思い出|土井谷レポート

【Vol.37】土井谷と白セレナの思い出|土井谷レポート

土井谷の白セレナー だいにぐるーぷにとっての”ゴーイングメリー号”と言える土井谷の白セレナ。 ここまでどの撮影においても移動手段や運搬手段としてぐるーぷや土井谷を支えてきた白セレナだが、2024年の11月にぐるーぷの社用車としてハイエースが納車されたことでその役目に終止符を打った。まさにメリー号とサニー号の世代交代である。 今回、所有者である土井谷に納車されてから2024年末まで公私共に彼を支えた白セレナとの思い出を振り返ってもらった。 白セレナ年表 ーまずは白セレナを手に入れた経緯をお願いします。 土井谷:津田沼逃亡の後くらいにおじいちゃんに買ってもらいましたね。車種については当時色々案はあったんですけど、とにかく岩田の黒セレナに乗ってて荷物が積める系の車がぐるーぷ的にもいいかなと思って。 土井谷:あとは、うちの実家が自営業で荷物が意外と多いので、それも加味してセレナにしました。 ー白セレナの初稼働の思い出を教えてください。 土井谷:”無人島からの脱出”の撮影ですね。あれが12月から2月あたりの寒い時期で、まず備品を積んで僕が運転して、助手席と後ろに3人乗って岡山まで向かったのが最初の撮影とか長距離移動の思い出です。 土井谷:20時くらいに都内を出発して朝着くみたいな感じで、一晩中走ってその日に撮影が始まるって感じでした。 土井谷:結構な距離、東京から兵庫くらいまで僕が運転した気がします。免許も当時僕と岩田しか持っていなくて、明け方くらいから岩田と代わって車内で寝て起きたら着いていましたね。 ーかなりハードな初陣だったんですね。帰りも同じ感じですか? 土井谷:帰りはもっとやばくて、撮影が終わったのが昼過ぎくらいで後片付けもちょっとゴタついちゃって。 土井谷:当時ぐるーぷに現金がなかったから宿代がないってなってなんとかかき集めて、無人島からの脱出の後に宿からの脱出が始まったんですよ。それで、21時くらいに全部片付いて、寝る間もなく東京に戻ったあの時は大変でしたね。 撮影後、片付けが終わり白セレナで帰る前に撮った集合写真 土井谷:撮影の疲れと宿からの脱出ので結構消耗していたので、途中で限界を感じたんですよ。なので途中のパーキングエリアでちょっと寝て、こっちに帰って来れたのは昼過ぎでした。今思うとあの長距離をよく僕と岩田で回したなと思います。 第1弾 無人島脱出後の白セレナ年表 ーかなりの極限状態だったんですね。 土井谷:極限状態でいうなら”無人島バトルロワイヤル”もやばかったです。サブチャンネルでも動画が上がっているんですけど、2日かけて長崎に向かいました。後にも先にもこれが最長移動距離ですね。 土井谷:あれはまじでやばかったです。行きは動画があったから覚えているけど、帰りに関しては本当に帰ってきたのかって思うくらい何も覚えていないです(笑) 無人島バトルロワイヤルに行く道中の一部始終 ー相当ハードだったんですね。過去のサブチャンネルでは事故や事件についての動画もありましたね。 土井谷:僕が事故ってバンパーが外れちゃったのと、その翌年の”無人島からの脱出2”の撮影に向かう途中のタイヤ事件ですね。 バンパーが外れてそのままサブで動画化 パンクした時の写真 土井谷:外装はそこからめちゃくちゃ壊れやすくなってきました。今回白セレナが持っていかれる時も見たらやっぱりちょっと、事故で外れた部分はちゃんとはくっついていないんですよね。 土井谷:タイヤ事件に関しては夜中じゃなかったら事故になっていた可能性もありますし、ちょっとゾッとしましたね。 バンパー破損とタイヤ破裂に近い時期の白セレナの年表...

【Vol.37】土井谷と白セレナの思い出|土井谷レポート

土井谷の白セレナー だいにぐるーぷにとっての”ゴーイングメリー号”と言える土井谷の白セレナ。 ここまでどの撮影においても移動手段や運搬手段としてぐるーぷや土井谷を支えてきた白セレナだが、2024年の11月にぐるーぷの社用車としてハイエースが納車されたことでその役目に終止符を打った。まさにメリー号とサニー号の世代交代である。 今回、所有者である土井谷に納車されてから2024年末まで公私共に彼を支えた白セレナとの思い出を振り返ってもらった。 白セレナ年表 ーまずは白セレナを手に入れた経緯をお願いします。 土井谷:津田沼逃亡の後くらいにおじいちゃんに買ってもらいましたね。車種については当時色々案はあったんですけど、とにかく岩田の黒セレナに乗ってて荷物が積める系の車がぐるーぷ的にもいいかなと思って。 土井谷:あとは、うちの実家が自営業で荷物が意外と多いので、それも加味してセレナにしました。 ー白セレナの初稼働の思い出を教えてください。 土井谷:”無人島からの脱出”の撮影ですね。あれが12月から2月あたりの寒い時期で、まず備品を積んで僕が運転して、助手席と後ろに3人乗って岡山まで向かったのが最初の撮影とか長距離移動の思い出です。 土井谷:20時くらいに都内を出発して朝着くみたいな感じで、一晩中走ってその日に撮影が始まるって感じでした。 土井谷:結構な距離、東京から兵庫くらいまで僕が運転した気がします。免許も当時僕と岩田しか持っていなくて、明け方くらいから岩田と代わって車内で寝て起きたら着いていましたね。 ーかなりハードな初陣だったんですね。帰りも同じ感じですか? 土井谷:帰りはもっとやばくて、撮影が終わったのが昼過ぎくらいで後片付けもちょっとゴタついちゃって。 土井谷:当時ぐるーぷに現金がなかったから宿代がないってなってなんとかかき集めて、無人島からの脱出の後に宿からの脱出が始まったんですよ。それで、21時くらいに全部片付いて、寝る間もなく東京に戻ったあの時は大変でしたね。 撮影後、片付けが終わり白セレナで帰る前に撮った集合写真 土井谷:撮影の疲れと宿からの脱出ので結構消耗していたので、途中で限界を感じたんですよ。なので途中のパーキングエリアでちょっと寝て、こっちに帰って来れたのは昼過ぎでした。今思うとあの長距離をよく僕と岩田で回したなと思います。 第1弾 無人島脱出後の白セレナ年表 ーかなりの極限状態だったんですね。 土井谷:極限状態でいうなら”無人島バトルロワイヤル”もやばかったです。サブチャンネルでも動画が上がっているんですけど、2日かけて長崎に向かいました。後にも先にもこれが最長移動距離ですね。 土井谷:あれはまじでやばかったです。行きは動画があったから覚えているけど、帰りに関しては本当に帰ってきたのかって思うくらい何も覚えていないです(笑) 無人島バトルロワイヤルに行く道中の一部始終 ー相当ハードだったんですね。過去のサブチャンネルでは事故や事件についての動画もありましたね。 土井谷:僕が事故ってバンパーが外れちゃったのと、その翌年の”無人島からの脱出2”の撮影に向かう途中のタイヤ事件ですね。 バンパーが外れてそのままサブで動画化 パンクした時の写真 土井谷:外装はそこからめちゃくちゃ壊れやすくなってきました。今回白セレナが持っていかれる時も見たらやっぱりちょっと、事故で外れた部分はちゃんとはくっついていないんですよね。 土井谷:タイヤ事件に関しては夜中じゃなかったら事故になっていた可能性もありますし、ちょっとゾッとしましたね。 バンパー破損とタイヤ破裂に近い時期の白セレナの年表...