REPORT
【Vol.46】土井谷・飯野と振り返るメイン企画〜前編〜|8周年記念レポート
2025年4月22日、だいにぐるーぷはチャンネル開設8周年を迎える。中学生の同級生で始めた“放課後の延長戦”は、今や100万人以上の視聴者を抱え、YouTube界において自分たちのブランドを確立するまでに至った。 ただ、彼らの航海も、決して順風満帆だったわけではない。2018年夏に『1週間心霊スポット生活』で頭角を現しただいにぐるーぷだが、YouTube界の金字塔であるチャンネル登録者100万人を達成するまでには、4年以上の歳月を要した。それでも、彼らは自分たちが切った舵が正しいと信じ続け、それを証明したのだ。 そうして訪れた8回目の記念日に、だいにぐるーぷをここまで押し上げた“編集力"に大きく寄与してきた、土井谷誠一と飯野太一にインタビューを敢行。現在は、「オフラインと呼ばれる、動画の流れを作る部分がメイン」の土井谷と、「音効とか、オンラインと呼ばれる最後の仕上げがメイン」の飯野が、これまでのメイン企画を振り返ってくれた。 同級生と作った、最高の“ホームビデオ” 2018年夏に投稿された『1週間心霊スポット生活 西尾編』で、一躍時のグループとなっただいにぐるーぷ。登録者数は2千人から5万人近くまでに急増すると、その後に行われた『1週間シリーズ』でも破竹の勢いは止まらず、2020年春の『樹海の不思議な村で1週間生活してみた』の時点で、68万人とスターダムを駆け上がっていた。 -後にだいにの代表作となる『1週間シリーズ』の第1弾が投稿されましたが、当時はどのような編集体制でしたか? 土井谷: めちゃくちゃ忘れられているんすけど、元々心霊は毎日投稿で、それも西尾がツイキャスで毎回生配信して、その翌日に前日の話が上がっていくという流れでした。 土井谷:だから、西尾が1人で定点カメラを回して、俺らは朝と夜にデータを抜きに行ってそのまま編集をやるみたいな感じで、今でこそオフライン担当がいたり、音効担当は飯野だったりと分業制ですけど、当時はその日の担当者が全部やるスタイルでしたね。まぁ、途中から毎日投稿のシステムが崩れて、撮影集中になりましたけど。 飯野:そうだね(笑)なんか、ちょっと限界を迎えて撮影を手伝ったりしてた気がします。 -分業制に変わったのはいつ頃ですか? 飯野:須藤の心霊かな。 土井谷:うん。元々はYouTuber的な感じでやってました。 その日の編集はその人が全部やる、みたいな。それが段々、各々なんか得意なことをやっていくようになり始めて、その辺りくらいから飯野がカラーグレーディングやり出したりとか。 飯野:そうね、音やったりとか。本当にここで、思いっきし分業になったかな。西尾も、なんか館内図とか作ってた気がします。 飯野:あと、テロップは西尾が無人島からの脱出でフォーマットを作ってくれたんですよ、初めて。水ダウのパクリみたいなやつ。 -土井谷さんも、この辺りでオフラインを担当するようになったんですか? 土井谷:そうですね。須藤の心霊くらいからオフライン担当みたいになりました。その前までは、編集って抜きと、オフラインと呼ばれるものがあるんですけど、昔俺らはその間に2次カットと呼んでたものを挟んでいて、それをやってました。 -底辺時代を経て心霊を当てたわけですが、当時の心境はいかがでしたか? 土井谷:いやぁ、言葉では言い表せないくらい。 飯野:そうね。絶頂だね、人生の(笑) 土井谷:チャンネルの登録者数がすぐ反映される”YTカウンター”というのがあって、それまでは1カ月で10人増えるとか、100人増えたらすごいみたいな状態だったときに、1話目を上げた段階でそのアプリを見たら、10とかしか増えなかった値が見るたびに1000ずつ増えてて。 飯野:しかもあの数字がダイヤル式で、リアルタイムで上がっていくんですよ。それがね、いやぁ、マジでギャンブルで大当たりしたときみたいな。 土井谷:投資やってる人の感覚ですね。 飯野:あれ、マジで気持ちよかったな。 -これを機に、グループは『1週間シリーズ』を始めとする、大型企画がメインのスタイルへと変革を遂げました。世間一般のYouTuber像から逸脱し、未開拓の航路を進んでいくことに対する恐怖心みたいなのはありましたか? 飯野:ないでしょう。全盛期やで(笑) 土井谷:1本当たりの単価とかも、すごかったんですよ。それまでバイト代くらいしか貰ったことがなかった、バイト代くらいの金しか見たことなかったので。それこそ逃亡生活とかが、この月1本しか上がってないという月でも、結構な額が入ってきました。 飯野:そうだ。なんか見たことのない額が入ってきてて、これはもう売れたわってなったけど、そんなに甘くなかったですね。...
【Vol.46】土井谷・飯野と振り返るメイン企画〜前編〜|8周年記念レポート
2025年4月22日、だいにぐるーぷはチャンネル開設8周年を迎える。中学生の同級生で始めた“放課後の延長戦”は、今や100万人以上の視聴者を抱え、YouTube界において自分たちのブランドを確立するまでに至った。 ただ、彼らの航海も、決して順風満帆だったわけではない。2018年夏に『1週間心霊スポット生活』で頭角を現しただいにぐるーぷだが、YouTube界の金字塔であるチャンネル登録者100万人を達成するまでには、4年以上の歳月を要した。それでも、彼らは自分たちが切った舵が正しいと信じ続け、それを証明したのだ。 そうして訪れた8回目の記念日に、だいにぐるーぷをここまで押し上げた“編集力"に大きく寄与してきた、土井谷誠一と飯野太一にインタビューを敢行。現在は、「オフラインと呼ばれる、動画の流れを作る部分がメイン」の土井谷と、「音効とか、オンラインと呼ばれる最後の仕上げがメイン」の飯野が、これまでのメイン企画を振り返ってくれた。 同級生と作った、最高の“ホームビデオ” 2018年夏に投稿された『1週間心霊スポット生活 西尾編』で、一躍時のグループとなっただいにぐるーぷ。登録者数は2千人から5万人近くまでに急増すると、その後に行われた『1週間シリーズ』でも破竹の勢いは止まらず、2020年春の『樹海の不思議な村で1週間生活してみた』の時点で、68万人とスターダムを駆け上がっていた。 -後にだいにの代表作となる『1週間シリーズ』の第1弾が投稿されましたが、当時はどのような編集体制でしたか? 土井谷: めちゃくちゃ忘れられているんすけど、元々心霊は毎日投稿で、それも西尾がツイキャスで毎回生配信して、その翌日に前日の話が上がっていくという流れでした。 土井谷:だから、西尾が1人で定点カメラを回して、俺らは朝と夜にデータを抜きに行ってそのまま編集をやるみたいな感じで、今でこそオフライン担当がいたり、音効担当は飯野だったりと分業制ですけど、当時はその日の担当者が全部やるスタイルでしたね。まぁ、途中から毎日投稿のシステムが崩れて、撮影集中になりましたけど。 飯野:そうだね(笑)なんか、ちょっと限界を迎えて撮影を手伝ったりしてた気がします。 -分業制に変わったのはいつ頃ですか? 飯野:須藤の心霊かな。 土井谷:うん。元々はYouTuber的な感じでやってました。 その日の編集はその人が全部やる、みたいな。それが段々、各々なんか得意なことをやっていくようになり始めて、その辺りくらいから飯野がカラーグレーディングやり出したりとか。 飯野:そうね、音やったりとか。本当にここで、思いっきし分業になったかな。西尾も、なんか館内図とか作ってた気がします。 飯野:あと、テロップは西尾が無人島からの脱出でフォーマットを作ってくれたんですよ、初めて。水ダウのパクリみたいなやつ。 -土井谷さんも、この辺りでオフラインを担当するようになったんですか? 土井谷:そうですね。須藤の心霊くらいからオフライン担当みたいになりました。その前までは、編集って抜きと、オフラインと呼ばれるものがあるんですけど、昔俺らはその間に2次カットと呼んでたものを挟んでいて、それをやってました。 -底辺時代を経て心霊を当てたわけですが、当時の心境はいかがでしたか? 土井谷:いやぁ、言葉では言い表せないくらい。 飯野:そうね。絶頂だね、人生の(笑) 土井谷:チャンネルの登録者数がすぐ反映される”YTカウンター”というのがあって、それまでは1カ月で10人増えるとか、100人増えたらすごいみたいな状態だったときに、1話目を上げた段階でそのアプリを見たら、10とかしか増えなかった値が見るたびに1000ずつ増えてて。 飯野:しかもあの数字がダイヤル式で、リアルタイムで上がっていくんですよ。それがね、いやぁ、マジでギャンブルで大当たりしたときみたいな。 土井谷:投資やってる人の感覚ですね。 飯野:あれ、マジで気持ちよかったな。 -これを機に、グループは『1週間シリーズ』を始めとする、大型企画がメインのスタイルへと変革を遂げました。世間一般のYouTuber像から逸脱し、未開拓の航路を進んでいくことに対する恐怖心みたいなのはありましたか? 飯野:ないでしょう。全盛期やで(笑) 土井谷:1本当たりの単価とかも、すごかったんですよ。それまでバイト代くらいしか貰ったことがなかった、バイト代くらいの金しか見たことなかったので。それこそ逃亡生活とかが、この月1本しか上がってないという月でも、結構な額が入ってきました。 飯野:そうだ。なんか見たことのない額が入ってきてて、これはもう売れたわってなったけど、そんなに甘くなかったですね。...
【Vol.45】28歳を迎えた岩田涼太|誕生日レポート
-これまでとこれから 4月18日に28歳を迎える岩田涼太。 もう完全な「アラサー」の仲間入りを果たした岩田に去年、そしてこれからについて聞いた。 27歳の岩田涼太 -去年一年を振り返るとどんな変化がありましたか? 岩田:個人視点だとしたら、あんまり自我がなくなったっていう感覚がちょっとありますね。 岩田:というのも「だいにぐるーぷ」と「自分のやりたいこと(人生)」があったときにそこの中で一致するものがあると思うんですが、そこが完全にシンクロした一年だったかな。 岩田:前の年は副業もしてたんだけど、それも本当になくだいにぐるーぷのことだけを考えてやってきた結果、ほぼイコールになるくらいシンクロ率が高くなった感じですね。 デスクに向かう岩田 岩田:なんか昔は感じていた自分がめっちゃ頑張って仕事をして周りの仕事をしてない人を見たときに、何で俺だけこんな頑張ってるんだろうみたいなそういう当たり前の不満みたいなことはもう一切ありません。そういうのも全部超えて、ただただ何かだいにぐるーぷが伸びるとか成長していくことに対して自分ができることを最大限やろうって。自分の中にだいにぐるーぷが生きてるみたいな感じ、前はそこに対して自分の中にあった「何か」を超えた感じがします。 ー 27歳〜28歳になることで変化を感じていますか? 岩田:27歳とか今までに比べて今年はすごい人を巻き込んでいくことになるだろうなっていうことが一番大きい変化かな。 岩田:今までって自分が全部を見れてて全部をデザインできるような規模感でしかなかったところが、クリエイティブ人材を筆頭に人が増えていっていて、そうした時にいろんな人と何かを作っていくとか、いろんな人を巻き込みながら、自分の表現したいことを表現していくみたいなスタイルになると思います。 2024年末に行われたクリエイティブ人材の募集 岩田:そこが大きな1個のテーマになりそうだし、そこを今年うまくできたら今後の人生においてもすごい重要なキーポイントになりそうだなとは思っています。 ー今年の目標はどんなものがありますか? 岩田:2つあって、まず今年はやっぱりコンテンツで当てたいですね。去年ってやっぱコンテンツがめっちゃ良くてうまくいったというよりは、仕組みがうまかったと思うんです。今年はその仕組みの上で、コンテンツを当てたい。 岩田:少し前にメイン撮影が終わったんすが、クリエイター岩田涼太としてのとんでもない作品が1作目として出せる自信しかないので、みんなには期待して待っていてほしいですね。 岩田:あとは、だいにぐるーぷを見てくれる人の数を増やしたい。去年はグループとしても個人としてもコアなファンの人と向き合っていた感じがしていて、気付けばすごい内輪になっていたなっていう反省もあります。 岩田:既存の見てる人たちの層をコアな層になってもらうようなところってある程度やり切った感があって、サブチャンネルのアベレージとかメンバーシップの会員数とか上映会の増員数を伸ばしていくときって、もう新規にアプローチするしかないなっていう感覚があるので、新しく見てくれる人を増やすことは今年の目標ですね。 岩田:だから今年はもっと広くメインチャンネルは見るよっていう人とか、サブチャンネルを時々見るけど基本はメインを見るみたいな人とか、そのぐらいの立ち居地の人たちにちゃんと向けて発信したり、今年はそういった層に向けて自分が率先してやっていこうかなと思っています。 -そのためにどんな行動をするかという部分は現状どう考えていますか? 岩田:コンテンツを当てるというのはまさにそういう意味なのと、あとは「Blu-ray」を無くす。これがうまくいくかどうか正直わかんないんだけど、Blu-rayって、コアな層には喜ばれるんだけど、ライトの層からは、本編だけのコンテンツのクオリティが落ちるっていうやっぱジレンマがあるんですよね。 だいにぐるーぷ初のBlu-rayとなった1週間心霊スポット生活Final」と最新の「PEDRO1週間逃亡生活」 岩田:俺らの感覚としては、「メインは今まで通りちゃんとやります。そのさらに上のボーナスステージがブルーレイ」っていう感覚なんだけど、ライトな層の人たちからしたらBlu-rayを売るマーケティング上、続きが気になる仕様にしてセールスをしてきた後のだいにぐるーぷって、「遠ざけられた感」が少なからずあると思う。 岩田:Blu-rayがあったから、だいにが存続できたとか、より予算をかけられるようになって面白いコンテンツを作れたとか、大前提あるんだけど、これなしでいけるのかどうか実験してみようって思っていて、これがライト層と向き合う第一歩な気がしていますね。 -そうなるとコア層を満たしていた要素(Blu-ray的な要素)はどうなりそうですか? 岩田:「一週間心霊スポット生活-final-」以前の企画みたいにそういった部分も凝縮されてYOUTUBEに上がるイメージかな。 岩田:もしディスク2的要素があるなら、それをサブチャンネルで上げたりとか、そこのバランス感覚はちょっと今回実験だから、模索していきたい。...
【Vol.45】28歳を迎えた岩田涼太|誕生日レポート
-これまでとこれから 4月18日に28歳を迎える岩田涼太。 もう完全な「アラサー」の仲間入りを果たした岩田に去年、そしてこれからについて聞いた。 27歳の岩田涼太 -去年一年を振り返るとどんな変化がありましたか? 岩田:個人視点だとしたら、あんまり自我がなくなったっていう感覚がちょっとありますね。 岩田:というのも「だいにぐるーぷ」と「自分のやりたいこと(人生)」があったときにそこの中で一致するものがあると思うんですが、そこが完全にシンクロした一年だったかな。 岩田:前の年は副業もしてたんだけど、それも本当になくだいにぐるーぷのことだけを考えてやってきた結果、ほぼイコールになるくらいシンクロ率が高くなった感じですね。 デスクに向かう岩田 岩田:なんか昔は感じていた自分がめっちゃ頑張って仕事をして周りの仕事をしてない人を見たときに、何で俺だけこんな頑張ってるんだろうみたいなそういう当たり前の不満みたいなことはもう一切ありません。そういうのも全部超えて、ただただ何かだいにぐるーぷが伸びるとか成長していくことに対して自分ができることを最大限やろうって。自分の中にだいにぐるーぷが生きてるみたいな感じ、前はそこに対して自分の中にあった「何か」を超えた感じがします。 ー 27歳〜28歳になることで変化を感じていますか? 岩田:27歳とか今までに比べて今年はすごい人を巻き込んでいくことになるだろうなっていうことが一番大きい変化かな。 岩田:今までって自分が全部を見れてて全部をデザインできるような規模感でしかなかったところが、クリエイティブ人材を筆頭に人が増えていっていて、そうした時にいろんな人と何かを作っていくとか、いろんな人を巻き込みながら、自分の表現したいことを表現していくみたいなスタイルになると思います。 2024年末に行われたクリエイティブ人材の募集 岩田:そこが大きな1個のテーマになりそうだし、そこを今年うまくできたら今後の人生においてもすごい重要なキーポイントになりそうだなとは思っています。 ー今年の目標はどんなものがありますか? 岩田:2つあって、まず今年はやっぱりコンテンツで当てたいですね。去年ってやっぱコンテンツがめっちゃ良くてうまくいったというよりは、仕組みがうまかったと思うんです。今年はその仕組みの上で、コンテンツを当てたい。 岩田:少し前にメイン撮影が終わったんすが、クリエイター岩田涼太としてのとんでもない作品が1作目として出せる自信しかないので、みんなには期待して待っていてほしいですね。 岩田:あとは、だいにぐるーぷを見てくれる人の数を増やしたい。去年はグループとしても個人としてもコアなファンの人と向き合っていた感じがしていて、気付けばすごい内輪になっていたなっていう反省もあります。 岩田:既存の見てる人たちの層をコアな層になってもらうようなところってある程度やり切った感があって、サブチャンネルのアベレージとかメンバーシップの会員数とか上映会の増員数を伸ばしていくときって、もう新規にアプローチするしかないなっていう感覚があるので、新しく見てくれる人を増やすことは今年の目標ですね。 岩田:だから今年はもっと広くメインチャンネルは見るよっていう人とか、サブチャンネルを時々見るけど基本はメインを見るみたいな人とか、そのぐらいの立ち居地の人たちにちゃんと向けて発信したり、今年はそういった層に向けて自分が率先してやっていこうかなと思っています。 -そのためにどんな行動をするかという部分は現状どう考えていますか? 岩田:コンテンツを当てるというのはまさにそういう意味なのと、あとは「Blu-ray」を無くす。これがうまくいくかどうか正直わかんないんだけど、Blu-rayって、コアな層には喜ばれるんだけど、ライトの層からは、本編だけのコンテンツのクオリティが落ちるっていうやっぱジレンマがあるんですよね。 だいにぐるーぷ初のBlu-rayとなった1週間心霊スポット生活Final」と最新の「PEDRO1週間逃亡生活」 岩田:俺らの感覚としては、「メインは今まで通りちゃんとやります。そのさらに上のボーナスステージがブルーレイ」っていう感覚なんだけど、ライトな層の人たちからしたらBlu-rayを売るマーケティング上、続きが気になる仕様にしてセールスをしてきた後のだいにぐるーぷって、「遠ざけられた感」が少なからずあると思う。 岩田:Blu-rayがあったから、だいにが存続できたとか、より予算をかけられるようになって面白いコンテンツを作れたとか、大前提あるんだけど、これなしでいけるのかどうか実験してみようって思っていて、これがライト層と向き合う第一歩な気がしていますね。 -そうなるとコア層を満たしていた要素(Blu-ray的な要素)はどうなりそうですか? 岩田:「一週間心霊スポット生活-final-」以前の企画みたいにそういった部分も凝縮されてYOUTUBEに上がるイメージかな。 岩田:もしディスク2的要素があるなら、それをサブチャンネルで上げたりとか、そこのバランス感覚はちょっと今回実験だから、模索していきたい。...
【Vol.44】DAI 2 CREW感謝祭2025を振り返る|サロンレポート
※こちらの記事は、3/21(金)に取材した内容となります だいにぐるーぷ史上最大規模のイベントー 前々回に配信された「【Vol.42】DAI 2 CREW感謝祭2025を終えて|イベントレポート」を覚えているだろうか。 ”あと、かくれMVPとしてサロンクルーかな。” だいにぐるーぷ・リーダーである岩田は、先日行われた「DAI 2 CREW感謝祭2025」を振り返ってこう話した。 過去最大規模のイベントであり、大盛況で幕を閉じた本イベント。 3月26日(水)の限定動画では、感謝祭の裏側も公開された。 「限定動画 Vol.257|感謝祭ができるまで」 さらにこの成功を支えた、過去最大人数のイベントスタッフ。そしてそのイベントスタッフをまとめていた”イベントクルー”の存在。彼らから見た今回のイベントは、どんなものだったのか。感じていた思いとは何だったのか。 イベントクルー1期リーダー・ぉさきさん、2期リーダー・やまさんからお話を聞かせていただいた。 イベントクルーレポート ー感謝祭を終えて、率直な思いを教えてください。 ぉさき:今回の感謝祭は、お客さんの楽しいという声が現地でもたくさん聞こえてきましたし、SNSでも聞こえてきて、その状況で終了できたということに本当に心からほっとしてるというのが率直な感想です。 やま:私も似たような感想になってしまうんですが、当日のスタッフのオペレーション面などで細かい反省点はありつつも、本番お客さんが体験してもらうところに対しては大きなトラブルなく終えられたことにほっとしています。 ーやはり今年の開催にむけて、前回の感謝祭から感じていたものは大きかったのでしょうか。 ぉさき:去年は失敗だったと言われても仕方ない状況だったと思います。本当に当日はどうにもできないような出来事が何個も同時に起きて、でもファンの皆さんを失望させたっていう点は事実であって。 ・昨年の「メンバーシップ感謝祭2024」のトラブル時の様子 【Vol.9】メンバーシップ感謝祭2024|イベントレポート ぉさき:その点に対して、じゅんやくんもなっちゃんも自分たちのせいと捉えて涙してるのを見ていました。このイベントのせいでファンをやめてしまう方もいるかもしれないと怖くなったのが前回です。 ぉさき:この1年トラウマのようにのしかかっていたからこそ、今回の感謝祭はイベントに対する思いが変わっていて。絶対に成功させたいし、また来たいって思ってもらえる感謝祭にしたいなっていう思いがありましたね。 ・昨年の「メンバーシップ感謝祭2024」のトラブル時の様子 【Vol.9】メンバーシップ感謝祭2024|イベントレポート やま:前回の感謝祭はイベントスタッフとしてお手伝いさせてもらっていたので当日の様子しか見ていないんですけど、やっぱり悔しそうな表情とかを見ていましたし、イベントクルーになってから当時の話を聞いて、リベンジしたいという思いがあるのをずっと感じていました。...
【Vol.44】DAI 2 CREW感謝祭2025を振り返る|サロンレポート
※こちらの記事は、3/21(金)に取材した内容となります だいにぐるーぷ史上最大規模のイベントー 前々回に配信された「【Vol.42】DAI 2 CREW感謝祭2025を終えて|イベントレポート」を覚えているだろうか。 ”あと、かくれMVPとしてサロンクルーかな。” だいにぐるーぷ・リーダーである岩田は、先日行われた「DAI 2 CREW感謝祭2025」を振り返ってこう話した。 過去最大規模のイベントであり、大盛況で幕を閉じた本イベント。 3月26日(水)の限定動画では、感謝祭の裏側も公開された。 「限定動画 Vol.257|感謝祭ができるまで」 さらにこの成功を支えた、過去最大人数のイベントスタッフ。そしてそのイベントスタッフをまとめていた”イベントクルー”の存在。彼らから見た今回のイベントは、どんなものだったのか。感じていた思いとは何だったのか。 イベントクルー1期リーダー・ぉさきさん、2期リーダー・やまさんからお話を聞かせていただいた。 イベントクルーレポート ー感謝祭を終えて、率直な思いを教えてください。 ぉさき:今回の感謝祭は、お客さんの楽しいという声が現地でもたくさん聞こえてきましたし、SNSでも聞こえてきて、その状況で終了できたということに本当に心からほっとしてるというのが率直な感想です。 やま:私も似たような感想になってしまうんですが、当日のスタッフのオペレーション面などで細かい反省点はありつつも、本番お客さんが体験してもらうところに対しては大きなトラブルなく終えられたことにほっとしています。 ーやはり今年の開催にむけて、前回の感謝祭から感じていたものは大きかったのでしょうか。 ぉさき:去年は失敗だったと言われても仕方ない状況だったと思います。本当に当日はどうにもできないような出来事が何個も同時に起きて、でもファンの皆さんを失望させたっていう点は事実であって。 ・昨年の「メンバーシップ感謝祭2024」のトラブル時の様子 【Vol.9】メンバーシップ感謝祭2024|イベントレポート ぉさき:その点に対して、じゅんやくんもなっちゃんも自分たちのせいと捉えて涙してるのを見ていました。このイベントのせいでファンをやめてしまう方もいるかもしれないと怖くなったのが前回です。 ぉさき:この1年トラウマのようにのしかかっていたからこそ、今回の感謝祭はイベントに対する思いが変わっていて。絶対に成功させたいし、また来たいって思ってもらえる感謝祭にしたいなっていう思いがありましたね。 ・昨年の「メンバーシップ感謝祭2024」のトラブル時の様子 【Vol.9】メンバーシップ感謝祭2024|イベントレポート やま:前回の感謝祭はイベントスタッフとしてお手伝いさせてもらっていたので当日の様子しか見ていないんですけど、やっぱり悔しそうな表情とかを見ていましたし、イベントクルーになってから当時の話を聞いて、リベンジしたいという思いがあるのをずっと感じていました。...
【Vol.43】27歳を迎えた須藤祥|誕生日レポート
Z世代ー 概ね1997年代から2012年代生まれの世代を指す。 「タイパ(タイムパフォーマンス)重視する」ことや「自己表現への高い関心がある」などがその特徴として挙げられるが、そんなZ世代の先頭を走る1997年代末、1998年3月24日にだいにぐるーぷのメンバー、須藤祥が誕生した。 破天荒な中卒の少年は、今や2歳の娘と妻を守る一家の大黒柱に。仕事と家庭を両立しながらも、夢に向かって走り続ける、がむしゃらな男は27歳になって何を語るのか。 須藤祥 1998年3月24日生まれ ー27歳になった感想を率直にお聞かせください。 須藤:27歳って30歳に向けて何か変わらないといけないなって思う歳じゃないですか。実際にメンバーとかも30歳を直前に焦るという話をしていて。僕も1年前までは"そっち派"だったんですが、今はもう30歳前の焦りみたいなものはないですね。 ー何かその考えに至る出来事などがあったんでしょうか? 須藤:やっぱり、やりたいことが見つかった事かなと思います。須藤のアメリカンラジオ(メンバーシッププレミアム会員限定のプレミアムラジオで須藤が担当するラジオ)でも言ったと思うんですけど、”ゲーム実況で横浜アリーナを埋める!”っていう目標が出来たからですかね。 須藤:30歳に向かって、というよりかは、その目標に向けて走っているので、30歳が気にならないみたいな感じです。 ー今までで記憶に残っている誕生日のエピソードはありますか? 須藤:昔にいた彼女との話なのですが、当時本当にお金が無くて、彼女のプレゼントをスキップしてあげなかったことがあるんです。なので、俺の誕生日はプレゼントいらないよって言っていたのですが、当時の彼女がプレゼントを買っていて(笑) 須藤:男のプライドというかなんというかで、「なんで買ってるの!」って言って喧嘩になりました(笑) 須藤:俺が悪いんですけど、なんか「ありがとう」って素直に言えなかったです。結果、仲直りはしましたけれど、俺も子供だったなと思います。(笑) ー総務になって1年ほど経ったかと思うのですが、成し遂げたことはありますか? 須藤:総務って仕事が終わらないんですよね。言葉を選ばずに言うと雑務なので、本当に色んなことをしますし、どんどん仕事が来ます(笑) 須藤:ただ、メンバーが編集をしやすい環境を整えるということで、総務がいなかった去年に着手出来ていなかった部分を総務がいる事でできていっているので、スタジオの環境は良くなってきていると感じます。 須藤:例えば今、隣の家を倉庫として利用しているんですけど、はじめは前の住人の荷物と、ぐるーぷの備品、グッズの在庫などが混在して進める道もないくらいでした(笑) 須藤:今は動画にも上がっていると思うのですが、かなり整頓出来たものの、結局イベントがある度にグッズの在庫が増えるので今は庭にトタン屋根の小屋を立ててスペースを追加で作っている最中です。 須藤:なので今の俺の生活は、昼は大工、夜は事務作業という形です。何やってるんだって話ですよね(笑) ー26歳で成長したと感じる部分はありますか? 須藤:器が広くなったことかなと思います。 須藤:ここ数ヶ月で特に感謝祭の準備をしている時に感じましたね。例えば、自分が分からなくて正直出来ないって断れるものも、1回やってみようと受け入れたりとか、どんな仕事でも1回やってみようという気持ちが今までよりあるなと感じています。 DAI 2 CREW感謝祭2025の集合写真 須藤:はじめに話した30歳という数字に焦らなくなったという事にも繋がってくるのですが、ゲーム実況で横浜アリーナを埋める!という目標のためにどんな事でもやるって言うのはあります。 須藤:あと、僕は他のメンバーとは違って、だいにぐるーぷが解散をしたとして、その後の仕事は今の仕事に関係がなくてもいいんです。足場屋さんみたいなのでもいいし、本当に何でも(笑) 須藤:娘や嫁がいて、家族を守るために仕事内容はいとわないというマインドももちろんありますが、独身でもそうだったかなと思います(笑)...
【Vol.43】27歳を迎えた須藤祥|誕生日レポート
Z世代ー 概ね1997年代から2012年代生まれの世代を指す。 「タイパ(タイムパフォーマンス)重視する」ことや「自己表現への高い関心がある」などがその特徴として挙げられるが、そんなZ世代の先頭を走る1997年代末、1998年3月24日にだいにぐるーぷのメンバー、須藤祥が誕生した。 破天荒な中卒の少年は、今や2歳の娘と妻を守る一家の大黒柱に。仕事と家庭を両立しながらも、夢に向かって走り続ける、がむしゃらな男は27歳になって何を語るのか。 須藤祥 1998年3月24日生まれ ー27歳になった感想を率直にお聞かせください。 須藤:27歳って30歳に向けて何か変わらないといけないなって思う歳じゃないですか。実際にメンバーとかも30歳を直前に焦るという話をしていて。僕も1年前までは"そっち派"だったんですが、今はもう30歳前の焦りみたいなものはないですね。 ー何かその考えに至る出来事などがあったんでしょうか? 須藤:やっぱり、やりたいことが見つかった事かなと思います。須藤のアメリカンラジオ(メンバーシッププレミアム会員限定のプレミアムラジオで須藤が担当するラジオ)でも言ったと思うんですけど、”ゲーム実況で横浜アリーナを埋める!”っていう目標が出来たからですかね。 須藤:30歳に向かって、というよりかは、その目標に向けて走っているので、30歳が気にならないみたいな感じです。 ー今までで記憶に残っている誕生日のエピソードはありますか? 須藤:昔にいた彼女との話なのですが、当時本当にお金が無くて、彼女のプレゼントをスキップしてあげなかったことがあるんです。なので、俺の誕生日はプレゼントいらないよって言っていたのですが、当時の彼女がプレゼントを買っていて(笑) 須藤:男のプライドというかなんというかで、「なんで買ってるの!」って言って喧嘩になりました(笑) 須藤:俺が悪いんですけど、なんか「ありがとう」って素直に言えなかったです。結果、仲直りはしましたけれど、俺も子供だったなと思います。(笑) ー総務になって1年ほど経ったかと思うのですが、成し遂げたことはありますか? 須藤:総務って仕事が終わらないんですよね。言葉を選ばずに言うと雑務なので、本当に色んなことをしますし、どんどん仕事が来ます(笑) 須藤:ただ、メンバーが編集をしやすい環境を整えるということで、総務がいなかった去年に着手出来ていなかった部分を総務がいる事でできていっているので、スタジオの環境は良くなってきていると感じます。 須藤:例えば今、隣の家を倉庫として利用しているんですけど、はじめは前の住人の荷物と、ぐるーぷの備品、グッズの在庫などが混在して進める道もないくらいでした(笑) 須藤:今は動画にも上がっていると思うのですが、かなり整頓出来たものの、結局イベントがある度にグッズの在庫が増えるので今は庭にトタン屋根の小屋を立ててスペースを追加で作っている最中です。 須藤:なので今の俺の生活は、昼は大工、夜は事務作業という形です。何やってるんだって話ですよね(笑) ー26歳で成長したと感じる部分はありますか? 須藤:器が広くなったことかなと思います。 須藤:ここ数ヶ月で特に感謝祭の準備をしている時に感じましたね。例えば、自分が分からなくて正直出来ないって断れるものも、1回やってみようと受け入れたりとか、どんな仕事でも1回やってみようという気持ちが今までよりあるなと感じています。 DAI 2 CREW感謝祭2025の集合写真 須藤:はじめに話した30歳という数字に焦らなくなったという事にも繋がってくるのですが、ゲーム実況で横浜アリーナを埋める!という目標のためにどんな事でもやるって言うのはあります。 須藤:あと、僕は他のメンバーとは違って、だいにぐるーぷが解散をしたとして、その後の仕事は今の仕事に関係がなくてもいいんです。足場屋さんみたいなのでもいいし、本当に何でも(笑) 須藤:娘や嫁がいて、家族を守るために仕事内容はいとわないというマインドももちろんありますが、独身でもそうだったかなと思います(笑)...
【Vol.42】DAI 2 CREW感謝祭2025を終えて|イベントレポート
リベンジー 2025年3月15日、16日の2日間、秋葉原にて開催された”DAI2 CREW感謝祭2025”は大盛況で幕を閉じた。 ”だいにらんど”をテーマにコンテンツがふんだんに盛り込まれたこのイベントはまさにだいにぐるーぷが創るエンタメの集大成と言えるだろう。 そんな本イベントについて、だいにぐるーぷリーダーである岩田涼太に振り返ってもらった。 ーまずは2日間の感謝祭、お疲れ様でした。今回”だいにらんど”っていうコンセプトだったと思うのですが、このイベントの構想はいつ頃からできていたのでしょうか? 岩田:大枠の枠組みに関しては、わりと2、3年前くらいからありましたね。でも具体的なコンテンツの中身、ゲームエリアだったりレースエリアだったりっていうのは12月くらいじゃないかな。 ゲームエリア(ルーレット) ゲームエリア(大食いレース中) ーかなりのコンテンツが盛り込まれていたと思うんですが、一番苦労したのはどういった部分でしょうか? 岩田:どこだろう、やっぱり飲食エリアだと思います。僕が苦労したわけじゃないんですが、保健所の許可とかね。当日の朝にやっと許可が降りて、よくやったと思います。 岩田:あとはフードのメニューを作るとか仕入れとか諸々大変そうでしたね。初日とかも中は結構ピリピリしてたしかなりやばかったんじゃないかな。 飲食エリア(須藤食堂、アメリカンレストラン、スイーツバーバラ) 岩田:でもやっぱ飲食に限らず許可どりはめちゃくちゃ苦労しました。 岩田:僕は今回ディレクターみたいな立ち位置で、プロデューサーとして頑張ってくれてたのが西尾なんですよ。僕は「こういうのがやりたい」って言うのを12月くらいに作って、年明けから西尾がどう実現させるのかっていう役割分担でやっていました。 岩田:やっぱりゲームエリアに関しては弁護士に話を通して、どういうルール設計ならOKなのかっていうように調整していって、なんとか乗り越えた先で会場側からNG食らったりしましたね。 岩田:動画とかでも出てましたけど、西尾とかは「もうこれは別のプランで行くしかない」と。でも僕の中でゲームエリアは今回の肝みたいな立ち位置だったので、最後の最後までできる限りのことはやりたいなと思って、なんとか許可が下りたって感じです。 ゲームエリア(バカラ) ーだいぶ苦労して勝ち取ったコンテンツだったんですね。 岩田:そうですね、会場側から最初無理ですみたいな感じで来てたんですけど、それを「どこが無理でしょうか」って別のプランを提示して、弁護士に書面を作ってもらって。 岩田:会場側にもだいぶ理解があったのもあって最終的にはいいですよって許してもらえました。これを飲食エリアの保健所バージョンもあったので、大きく許可どりは苦労しましたね。 ーエリアの名前も途中からカジノ→ゲーム、ウインズ→レースに変更になっていたのは許可の関係があったんですね。 岩田:そうそう。それとかも西尾以外があんま把握していなくて、初日のオープニングセレモニーとかで会場の関係者もいるのに「カジノもありますからね」とか「ウインズエリアが〜」とかメンバーが言っちゃって西尾に怒られましたね。 岩田:大変だったといえばあとはグッズかな。景品の発注数がもう異常なくらいだったのと、Dai2BBとか野球部タオルとかいろいろあって、それぞれの担当が西尾、じゅんや、なつだったのでこの3人がめちゃくちゃ大変だったと思います。 Dai2BBラグランTシャツ ゆるキャラTシャツ(しぼみT) ー大変だったことといえば、DAI2 MAGAZINE収録のだいに名鑑にて、「(感謝祭について)全部はできねえぞ」と西尾さんから物申されていましたが、どんな無理難題を押しつけたのでしょうか? 岩田:無理難題言いますよ、僕は。なんか、宿命というか。動画でもそうですが、企画の構想段階が一番MAXのプランがでるじゃないですか。 岩田:カジノの構想とか景品交換の構想とかそういうのが100%だとしたら、やっぱり現実的に成立させるために徐々に妥協妥協で落ちていくものなんですよ。...
【Vol.42】DAI 2 CREW感謝祭2025を終えて|イベントレポート
リベンジー 2025年3月15日、16日の2日間、秋葉原にて開催された”DAI2 CREW感謝祭2025”は大盛況で幕を閉じた。 ”だいにらんど”をテーマにコンテンツがふんだんに盛り込まれたこのイベントはまさにだいにぐるーぷが創るエンタメの集大成と言えるだろう。 そんな本イベントについて、だいにぐるーぷリーダーである岩田涼太に振り返ってもらった。 ーまずは2日間の感謝祭、お疲れ様でした。今回”だいにらんど”っていうコンセプトだったと思うのですが、このイベントの構想はいつ頃からできていたのでしょうか? 岩田:大枠の枠組みに関しては、わりと2、3年前くらいからありましたね。でも具体的なコンテンツの中身、ゲームエリアだったりレースエリアだったりっていうのは12月くらいじゃないかな。 ゲームエリア(ルーレット) ゲームエリア(大食いレース中) ーかなりのコンテンツが盛り込まれていたと思うんですが、一番苦労したのはどういった部分でしょうか? 岩田:どこだろう、やっぱり飲食エリアだと思います。僕が苦労したわけじゃないんですが、保健所の許可とかね。当日の朝にやっと許可が降りて、よくやったと思います。 岩田:あとはフードのメニューを作るとか仕入れとか諸々大変そうでしたね。初日とかも中は結構ピリピリしてたしかなりやばかったんじゃないかな。 飲食エリア(須藤食堂、アメリカンレストラン、スイーツバーバラ) 岩田:でもやっぱ飲食に限らず許可どりはめちゃくちゃ苦労しました。 岩田:僕は今回ディレクターみたいな立ち位置で、プロデューサーとして頑張ってくれてたのが西尾なんですよ。僕は「こういうのがやりたい」って言うのを12月くらいに作って、年明けから西尾がどう実現させるのかっていう役割分担でやっていました。 岩田:やっぱりゲームエリアに関しては弁護士に話を通して、どういうルール設計ならOKなのかっていうように調整していって、なんとか乗り越えた先で会場側からNG食らったりしましたね。 岩田:動画とかでも出てましたけど、西尾とかは「もうこれは別のプランで行くしかない」と。でも僕の中でゲームエリアは今回の肝みたいな立ち位置だったので、最後の最後までできる限りのことはやりたいなと思って、なんとか許可が下りたって感じです。 ゲームエリア(バカラ) ーだいぶ苦労して勝ち取ったコンテンツだったんですね。 岩田:そうですね、会場側から最初無理ですみたいな感じで来てたんですけど、それを「どこが無理でしょうか」って別のプランを提示して、弁護士に書面を作ってもらって。 岩田:会場側にもだいぶ理解があったのもあって最終的にはいいですよって許してもらえました。これを飲食エリアの保健所バージョンもあったので、大きく許可どりは苦労しましたね。 ーエリアの名前も途中からカジノ→ゲーム、ウインズ→レースに変更になっていたのは許可の関係があったんですね。 岩田:そうそう。それとかも西尾以外があんま把握していなくて、初日のオープニングセレモニーとかで会場の関係者もいるのに「カジノもありますからね」とか「ウインズエリアが〜」とかメンバーが言っちゃって西尾に怒られましたね。 岩田:大変だったといえばあとはグッズかな。景品の発注数がもう異常なくらいだったのと、Dai2BBとか野球部タオルとかいろいろあって、それぞれの担当が西尾、じゅんや、なつだったのでこの3人がめちゃくちゃ大変だったと思います。 Dai2BBラグランTシャツ ゆるキャラTシャツ(しぼみT) ー大変だったことといえば、DAI2 MAGAZINE収録のだいに名鑑にて、「(感謝祭について)全部はできねえぞ」と西尾さんから物申されていましたが、どんな無理難題を押しつけたのでしょうか? 岩田:無理難題言いますよ、僕は。なんか、宿命というか。動画でもそうですが、企画の構想段階が一番MAXのプランがでるじゃないですか。 岩田:カジノの構想とか景品交換の構想とかそういうのが100%だとしたら、やっぱり現実的に成立させるために徐々に妥協妥協で落ちていくものなんですよ。...
【Vol.41】感謝祭の裏側|スタッフレポート
感謝祭の裏側ー 間もなく開催 DAI2 CREW感謝祭2025 2025年3月15日(土)/16日(日)「AKIBA_SQUARE」(東京都・千代田区)にて「DAI2 CREW感謝祭2025」が開催される。 『特別物販』や『屋台エリア』に加え、須藤完全監修の「須藤食堂」をはじめとした『飲食エリア』、だいにイズム満載の『ゲームエリア』や『レースエリア』がDAI2 CREWを迎え入れる。規模感もさることながらアトラクションの充実感も「感謝祭2024」から大幅にバージョンアップされた本イベント。その裏側を大野菜摘と永徳隼也に語ってもらう。 ―「感謝祭2025」での担当とこだわりポイントは? じゅんや:飲食チームを担当をしています。「感謝祭2024」では自分たちでフードを提供することができなかったのですが、今回は保健所とやりとりをして、原材料の仕入れから全て自分たちで作ります。 じゅんや:フードの注目ポイントでいうと、『須藤食堂』の『豚丼』は、須藤が実際に家で作っている豚丼をそのまま作ったものです。須藤オリジナルなので、ぜひ皆さんに食べてほしいですね! じゅんや:あとは『SWEETS BARBARA』のパフェで使っているイチゴソース。これは僕の完全オリジナルなんです。満足いくまで何度も試作しました。正直、市販のものとは比べ物にならないくらい美味しいです。…ハードル上げすぎたかな?でも本当に美味しいので! じゅんや:ハンバーガーも試行錯誤を繰り返して、最初に作ったものより格段に美味しいものになりました。頑張って作ったものばかりですので、みなさん食べてください! なつ:グッズや景品の制作、飲食業務、あとは当日のオペレーションを統括しています。感謝祭で販売するグッズは「ファン」に向けたアイテムを意識して作りました。 なつ:例えば、今回のグッズに「ゆるキャラTシャツ」というものがあるんですけど、ゆるキャラがしぼんでいるグラフィックをあえて採用しました。ゆるキャラ=可愛らしいってイメージがあると思うんですけど、そこは「だいにっぽさ」を意識して、しぼんだポーズを採用しました。 なつ:グッズ以外でいうと、当日の運営でも「だいにっぽさ」というのは大切にしています。イベントスタッフの子たちには「だいにらしくいこう!」とよく言っています。 なつ:少し意地悪なルールのアトラクションがある一方で、クオリティ面は常に高いものを追求する。そういったところに「だいにっぽさ」って出せているのかな、と思いますね。 なつ:あとは「感謝祭2024」での教訓を活かして、特に当日のオペレーションに関してはイベントスタッフの皆さんと何度も打ち合わせを行い綿密にシミュレーションしています。 ―「感謝祭2025」を開催するにあたり「感謝祭2024」とはどのように向き合いましたか? なつ:これは周りに言われて気付いたことですが、私の中で「感謝祭2024」というのはある種のトラウマになっていました。皆さんの前で涙ぐんでしまったことを今でも覚えています。 なつ:「感謝祭2025」は何としてでも全員がイベントに参加できるよう、各ブースの所要時間や人員配置など何度も何度もシミュレーションしています。メンバーからは「去年のことに引っ張られすぎている」と言われますが、それくらい私の中で「感謝祭2024」というものは大きいので。 なつ:そんな中で、「感謝祭2025」へのモチベーションを保てていたのは、ファンの人がファンで居続けてくれたからです。私の反省の言葉に対する優しい言葉や「感謝祭2025」の開催を応援してくれる言葉はとても大きかったです。 なつ:あとは「感謝祭2024」が終わったあと、岩田に「今回の責任者はなつなんだから、今回のミスはなつのミスだよね。おれはなつができると思っているから任せているし、頑張ってほしいと思っている」と言われことも私の中では「感謝祭2025」への活力になりました。「この期待に応えたい」と思いましたね。 なつ:ファンのみなさんやメンバーの言葉で不安が払拭されて、「感謝祭」へのリベンジ、かつ、バ-ジョンアップへのわくわく感が生まれました。 じゅんや:「感謝祭2024」は僕たちの中では失敗でした。僕たちが「失敗」という言葉を使ってはいけないかもしれないけれど、「成功」には程遠かったです。それでも、声をかけてくれるファンの人はすごく優しくて。僕たちの失敗を責めるのではなく「次へ活かしてほしい」と言ってくれる。そんな言葉があったから、僕たちは次に進めたのだと思います。 ―「感謝祭2025」をどのようなイベントにしたいですか? じゅんや:行列ができて遊べなかった、ということはあるかもしれない。全てのイベントを体験できないかもしれない。それでも、「宝さがしが面白かった」「須藤さんが作った豚丼が美味しかった」そういう思い出を1つでも持ち帰ってもらえるような、そんなイベントにしたいです。 なつ:ミスがあるのは仕方ないと思うんです。ただ、何かトラブルが起きた時にしっかりと対応できて、来てくれた人たちに満足して帰ってほしい。それから、帰った後にSNSで「楽しかった」って言ってもらえるようなイベントにしたいと思います。 ―「DAI2...
【Vol.41】感謝祭の裏側|スタッフレポート
感謝祭の裏側ー 間もなく開催 DAI2 CREW感謝祭2025 2025年3月15日(土)/16日(日)「AKIBA_SQUARE」(東京都・千代田区)にて「DAI2 CREW感謝祭2025」が開催される。 『特別物販』や『屋台エリア』に加え、須藤完全監修の「須藤食堂」をはじめとした『飲食エリア』、だいにイズム満載の『ゲームエリア』や『レースエリア』がDAI2 CREWを迎え入れる。規模感もさることながらアトラクションの充実感も「感謝祭2024」から大幅にバージョンアップされた本イベント。その裏側を大野菜摘と永徳隼也に語ってもらう。 ―「感謝祭2025」での担当とこだわりポイントは? じゅんや:飲食チームを担当をしています。「感謝祭2024」では自分たちでフードを提供することができなかったのですが、今回は保健所とやりとりをして、原材料の仕入れから全て自分たちで作ります。 じゅんや:フードの注目ポイントでいうと、『須藤食堂』の『豚丼』は、須藤が実際に家で作っている豚丼をそのまま作ったものです。須藤オリジナルなので、ぜひ皆さんに食べてほしいですね! じゅんや:あとは『SWEETS BARBARA』のパフェで使っているイチゴソース。これは僕の完全オリジナルなんです。満足いくまで何度も試作しました。正直、市販のものとは比べ物にならないくらい美味しいです。…ハードル上げすぎたかな?でも本当に美味しいので! じゅんや:ハンバーガーも試行錯誤を繰り返して、最初に作ったものより格段に美味しいものになりました。頑張って作ったものばかりですので、みなさん食べてください! なつ:グッズや景品の制作、飲食業務、あとは当日のオペレーションを統括しています。感謝祭で販売するグッズは「ファン」に向けたアイテムを意識して作りました。 なつ:例えば、今回のグッズに「ゆるキャラTシャツ」というものがあるんですけど、ゆるキャラがしぼんでいるグラフィックをあえて採用しました。ゆるキャラ=可愛らしいってイメージがあると思うんですけど、そこは「だいにっぽさ」を意識して、しぼんだポーズを採用しました。 なつ:グッズ以外でいうと、当日の運営でも「だいにっぽさ」というのは大切にしています。イベントスタッフの子たちには「だいにらしくいこう!」とよく言っています。 なつ:少し意地悪なルールのアトラクションがある一方で、クオリティ面は常に高いものを追求する。そういったところに「だいにっぽさ」って出せているのかな、と思いますね。 なつ:あとは「感謝祭2024」での教訓を活かして、特に当日のオペレーションに関してはイベントスタッフの皆さんと何度も打ち合わせを行い綿密にシミュレーションしています。 ―「感謝祭2025」を開催するにあたり「感謝祭2024」とはどのように向き合いましたか? なつ:これは周りに言われて気付いたことですが、私の中で「感謝祭2024」というのはある種のトラウマになっていました。皆さんの前で涙ぐんでしまったことを今でも覚えています。 なつ:「感謝祭2025」は何としてでも全員がイベントに参加できるよう、各ブースの所要時間や人員配置など何度も何度もシミュレーションしています。メンバーからは「去年のことに引っ張られすぎている」と言われますが、それくらい私の中で「感謝祭2024」というものは大きいので。 なつ:そんな中で、「感謝祭2025」へのモチベーションを保てていたのは、ファンの人がファンで居続けてくれたからです。私の反省の言葉に対する優しい言葉や「感謝祭2025」の開催を応援してくれる言葉はとても大きかったです。 なつ:あとは「感謝祭2024」が終わったあと、岩田に「今回の責任者はなつなんだから、今回のミスはなつのミスだよね。おれはなつができると思っているから任せているし、頑張ってほしいと思っている」と言われことも私の中では「感謝祭2025」への活力になりました。「この期待に応えたい」と思いましたね。 なつ:ファンのみなさんやメンバーの言葉で不安が払拭されて、「感謝祭」へのリベンジ、かつ、バ-ジョンアップへのわくわく感が生まれました。 じゅんや:「感謝祭2024」は僕たちの中では失敗でした。僕たちが「失敗」という言葉を使ってはいけないかもしれないけれど、「成功」には程遠かったです。それでも、声をかけてくれるファンの人はすごく優しくて。僕たちの失敗を責めるのではなく「次へ活かしてほしい」と言ってくれる。そんな言葉があったから、僕たちは次に進めたのだと思います。 ―「感謝祭2025」をどのようなイベントにしたいですか? じゅんや:行列ができて遊べなかった、ということはあるかもしれない。全てのイベントを体験できないかもしれない。それでも、「宝さがしが面白かった」「須藤さんが作った豚丼が美味しかった」そういう思い出を1つでも持ち帰ってもらえるような、そんなイベントにしたいです。 なつ:ミスがあるのは仕方ないと思うんです。ただ、何かトラブルが起きた時にしっかりと対応できて、来てくれた人たちに満足して帰ってほしい。それから、帰った後にSNSで「楽しかった」って言ってもらえるようなイベントにしたいと思います。 ―「DAI2...