REPORT

【Vol.69】日本縦断旅で見えた地方の魅力|企画レポート

【Vol.69】日本縦断旅で見えた地方の魅力|企画レポート

メンバー5人が6月2日から6日にかけて行った、福岡から札幌まで日本を縦断する旅。この縦断旅では、普段上映会でも訪れないような地方都市も多く訪問し、各地の魅力や特色を発見したようだ。 本インタビューでは、土井谷に印象に残った場所や食べ物、地方の魅力について深掘りした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーそもそもこの縦断旅を企画することになった理由や背景について教えていただけますか? 土井谷:最初SPコンテンツで企画を出している時に、日本縦断とか旅系の話が出ていました。上映会を行う福岡と札幌をシンプルに旅するという話になったんです。 土井谷:ただ調べると飛行機でも車でも移動費が変わらないとわかりました。その時にじゅんやが「グッズを売りながら移動するとかにしないと金額的に厳しいかも」と言って、今回の上映会ではブルーレイを売ってなくてアパレルを売りたかったので、ちょうどいいなと。 今回の縦断旅で販売されたグッズのラインナップ ー訪れた中で一番印象に残っている場所や出来事を教えてください。 土井谷:広島かな、インパクトが一番ありました。Xを見ていてもあまり反応がなかったので、本当に来てくれるのかと思っていたんですが、実際にはたくさんの人が来てくれて、いい意味で期待を裏切られました(笑)それ以降は「なんやかんや来てくれるのかな」という感じでした。 初日の広島終了時点で在庫がなくなるものも出るほどの盛況ぶりだった ー旅中にメンバー5人がそれぞれやってみたかったことを叶えていましたが、その中で一番印象に残っているのは? 土井谷:宮城の栗駒で中島さんに会いに行ったことですね。当時東京が一番売上が多くて、その次が岐阜だったんです。栗駒自体結構売れていたんですが、中島さんが「岐阜に売上で負けてる分は僕が全部買います」と言ってくれて東京に続いて暫定2位になりました。 スナックKにて左下のだいにジャージを着ているのが中島さん 土井谷:久しぶりに会えて楽しかったですし、「Not Found」でも出ていたスナックKに行って、そこのナポリタンが今まで食べた中で一番美味しかったです。新メニューのペペロンチーノもおすすめです。 サブチャンネル『ついに最終目的地へ、しかし予想外の結末に、、|日本縦断旅Part4』より宮城・スナックKのナポリタンこれを機にナポリタンにハマった土井谷だが、1年あらゆるナポリタンを食べてもこれを超えないという ー他にも印象に残っている食べ物はありますか? 土井谷:宇都宮餃子はめちゃくちゃ美味しかったです。動画にも出てるんですが、夜中なのにカツカレーや蕎麦など、和洋中いろいろなメニューが出ていました。 栃木・とちぎや 土井谷:あと愛媛で食べた焼肉も美味しかったです。田上さんの個人スポンサーの社長さんが色々手配してくれました。 愛媛・富久重での物販の様子 ー旅の途中で驚いたことは何かありますか? 土井谷:いい意味で、思った以上にファンがたくさん来てくれました。最初の想定の倍ぐらいグッズが売れたので、逆に動画的に面白くなるのか少し心配していました。そもそも「貧乏旅」みたいなテーマで、狭い部屋で1泊するとかを想定していたんですけど、実際は全然イージーで順風満帆に進みました。 愛媛・道後温泉 ふなや ー他に何かハプニングは起きましたか? 土井谷:愛媛に行く時にフェリーに乗ることになったのはちょっとパニックになりました。ただGoogleマップに従って運転していたので、フェリーに乗るとは思っていなくて。でも結局、フェリーの方が早かったので良かったです。 ー今回の縦断旅で、普段行かない地方の良さをどのように感じましたか?東京や千葉では味わえないものはありますか? 土井谷:岐阜の朝は良かったですね。空気が澄んでいるというか、朝にタバコを吸ったんですがめっちゃうまかったです。 岐阜・ロッヂ岐阜...

【Vol.69】日本縦断旅で見えた地方の魅力|企画レポート

メンバー5人が6月2日から6日にかけて行った、福岡から札幌まで日本を縦断する旅。この縦断旅では、普段上映会でも訪れないような地方都市も多く訪問し、各地の魅力や特色を発見したようだ。 本インタビューでは、土井谷に印象に残った場所や食べ物、地方の魅力について深掘りした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーそもそもこの縦断旅を企画することになった理由や背景について教えていただけますか? 土井谷:最初SPコンテンツで企画を出している時に、日本縦断とか旅系の話が出ていました。上映会を行う福岡と札幌をシンプルに旅するという話になったんです。 土井谷:ただ調べると飛行機でも車でも移動費が変わらないとわかりました。その時にじゅんやが「グッズを売りながら移動するとかにしないと金額的に厳しいかも」と言って、今回の上映会ではブルーレイを売ってなくてアパレルを売りたかったので、ちょうどいいなと。 今回の縦断旅で販売されたグッズのラインナップ ー訪れた中で一番印象に残っている場所や出来事を教えてください。 土井谷:広島かな、インパクトが一番ありました。Xを見ていてもあまり反応がなかったので、本当に来てくれるのかと思っていたんですが、実際にはたくさんの人が来てくれて、いい意味で期待を裏切られました(笑)それ以降は「なんやかんや来てくれるのかな」という感じでした。 初日の広島終了時点で在庫がなくなるものも出るほどの盛況ぶりだった ー旅中にメンバー5人がそれぞれやってみたかったことを叶えていましたが、その中で一番印象に残っているのは? 土井谷:宮城の栗駒で中島さんに会いに行ったことですね。当時東京が一番売上が多くて、その次が岐阜だったんです。栗駒自体結構売れていたんですが、中島さんが「岐阜に売上で負けてる分は僕が全部買います」と言ってくれて東京に続いて暫定2位になりました。 スナックKにて左下のだいにジャージを着ているのが中島さん 土井谷:久しぶりに会えて楽しかったですし、「Not Found」でも出ていたスナックKに行って、そこのナポリタンが今まで食べた中で一番美味しかったです。新メニューのペペロンチーノもおすすめです。 サブチャンネル『ついに最終目的地へ、しかし予想外の結末に、、|日本縦断旅Part4』より宮城・スナックKのナポリタンこれを機にナポリタンにハマった土井谷だが、1年あらゆるナポリタンを食べてもこれを超えないという ー他にも印象に残っている食べ物はありますか? 土井谷:宇都宮餃子はめちゃくちゃ美味しかったです。動画にも出てるんですが、夜中なのにカツカレーや蕎麦など、和洋中いろいろなメニューが出ていました。 栃木・とちぎや 土井谷:あと愛媛で食べた焼肉も美味しかったです。田上さんの個人スポンサーの社長さんが色々手配してくれました。 愛媛・富久重での物販の様子 ー旅の途中で驚いたことは何かありますか? 土井谷:いい意味で、思った以上にファンがたくさん来てくれました。最初の想定の倍ぐらいグッズが売れたので、逆に動画的に面白くなるのか少し心配していました。そもそも「貧乏旅」みたいなテーマで、狭い部屋で1泊するとかを想定していたんですけど、実際は全然イージーで順風満帆に進みました。 愛媛・道後温泉 ふなや ー他に何かハプニングは起きましたか? 土井谷:愛媛に行く時にフェリーに乗ることになったのはちょっとパニックになりました。ただGoogleマップに従って運転していたので、フェリーに乗るとは思っていなくて。でも結局、フェリーの方が早かったので良かったです。 ー今回の縦断旅で、普段行かない地方の良さをどのように感じましたか?東京や千葉では味わえないものはありますか? 土井谷:岐阜の朝は良かったですね。空気が澄んでいるというか、朝にタバコを吸ったんですがめっちゃうまかったです。 岐阜・ロッヂ岐阜...

【Vol.68】怪奇!スタジオであった怖い話|ユニークレポート

【Vol.68】怪奇!スタジオであった怖い話|ユニークレポート

「あのスタジオには何かある」 誰が言ったのか。まことしやかに囁かれるスタジオでの奇妙な噂。 だいにぐるーぷ結成から8年。 彼らの砦として千葉県某所に立つそのスタジオでは、ちょっと不思議な出来事が起きたという。 本件について、だいにぐるーぷに問い合わせたところ、メンバー、スタッフからは信じがたい恐ろしい体験談を聞くことができました。 本レポートでは、スタジオで起きた怪奇現象の一部を紹介することで、スタジオに住みつき「何か」の正体に迫りたい。 タンクトップの妖精 (J・E談) 私が「それ」を見たのは、千葉でも積雪が見られるほどの寒い日でした。  1番乗りで出勤した私は、すぐさま暖房を入れました。 ガチャっと派手な音をたてて、誰かがスタジオ入ってきました。その時は特に気にも留めず、業務に集中していました。異変に気づいたのはから数秒後のことです。 自分の横で「ピッピッピッ」という暖房を調整するずっとず聞こえるのです。 タンクトップ1枚の男が「今日寒すぎるだろ」と呟きながら、温度を上げていたのです。 私は恐怖のあまり、声をかけることすらできず、立ち止まってデスクに目を向けました。あの男は誰だったのか。よく考えていません。 もしかしたら、タンクトップの妖精がスタジオの様子を見に来てくれたのかも知れませんが、今は知るよしがありません。 捨てられた衣類 (T・A談) 「それ」を見たのは、リフォームする前のスタジオでした。 その日私は、野暮用を知らずに、1人スタジオに訪れました。誰もいないはずのスタジオの玄関には、2人分の靴が・・・。 怖くて部屋に入ると、岩田となつがソファで寝ていました。 そして、ソファの足元には岩田のズボンが・・・。 怖くなった僕はそのままスタジオから出ました。 憑いている男 (K・N談) あれは、深夜3時ごろのことです。 誰もいないスタジオの2階で「PEDRO逃亡者」の編集をひとり黙っていました。 そうすると、1階からのスタジオから、「コト…コト…」と物が進むのです。 最初は気のせいだと思いましたが、何度か同じような音が聞こえたので不審に思い、1階に降りて確認しましたことに。 当然、誰の姿もありません。 「風かな」と思い踵を返したその瞬間。...

【Vol.68】怪奇!スタジオであった怖い話|ユニークレポート

「あのスタジオには何かある」 誰が言ったのか。まことしやかに囁かれるスタジオでの奇妙な噂。 だいにぐるーぷ結成から8年。 彼らの砦として千葉県某所に立つそのスタジオでは、ちょっと不思議な出来事が起きたという。 本件について、だいにぐるーぷに問い合わせたところ、メンバー、スタッフからは信じがたい恐ろしい体験談を聞くことができました。 本レポートでは、スタジオで起きた怪奇現象の一部を紹介することで、スタジオに住みつき「何か」の正体に迫りたい。 タンクトップの妖精 (J・E談) 私が「それ」を見たのは、千葉でも積雪が見られるほどの寒い日でした。  1番乗りで出勤した私は、すぐさま暖房を入れました。 ガチャっと派手な音をたてて、誰かがスタジオ入ってきました。その時は特に気にも留めず、業務に集中していました。異変に気づいたのはから数秒後のことです。 自分の横で「ピッピッピッ」という暖房を調整するずっとず聞こえるのです。 タンクトップ1枚の男が「今日寒すぎるだろ」と呟きながら、温度を上げていたのです。 私は恐怖のあまり、声をかけることすらできず、立ち止まってデスクに目を向けました。あの男は誰だったのか。よく考えていません。 もしかしたら、タンクトップの妖精がスタジオの様子を見に来てくれたのかも知れませんが、今は知るよしがありません。 捨てられた衣類 (T・A談) 「それ」を見たのは、リフォームする前のスタジオでした。 その日私は、野暮用を知らずに、1人スタジオに訪れました。誰もいないはずのスタジオの玄関には、2人分の靴が・・・。 怖くて部屋に入ると、岩田となつがソファで寝ていました。 そして、ソファの足元には岩田のズボンが・・・。 怖くなった僕はそのままスタジオから出ました。 憑いている男 (K・N談) あれは、深夜3時ごろのことです。 誰もいないスタジオの2階で「PEDRO逃亡者」の編集をひとり黙っていました。 そうすると、1階からのスタジオから、「コト…コト…」と物が進むのです。 最初は気のせいだと思いましたが、何度か同じような音が聞こえたので不審に思い、1階に降りて確認しましたことに。 当然、誰の姿もありません。 「風かな」と思い踵を返したその瞬間。...

【Vol.67】飯野の1人暮らしを追え!|ユニークレポート

【Vol.67】飯野の1人暮らしを追え!|ユニークレポート

今年2月。だいにぐるーぷのスタッフである安西をはじめとし、引っ越しラッシュが続いていた。 ”先に実家を出るのは俺だ”と譲れない戦いも起きていた中、大々的にせずこの男も二度目の独り立ちを遂げていたのである。 今回はそんな飯野へ現在の1人暮らしの状況に迫った。 ー1人暮らしを決めた経緯を教えてください。 飯野:ちょっともう、さすがに出たいなと思ったからです。実家は楽ですけど、いつまで居てもしょうがないので。 ーいつ頃から考えられていましたか? 飯野:去年の9月10月くらいだった気がします。物件探しにめちゃくちゃ時間がかかりましたよ。3ヶ月くらい探してたんじゃないかな。 サブチャンネルで初お披露目となった飯野の自宅 飯野:最初は割とまったり探してたんだけど、結構無理そうな気配がしてきたんですよね。だから一旦5社ぐらいの不動産屋さんにこういう感じの条件で探してくださいって言って、バトルロワイヤルじゃないけど1番ちゃんとやってくれる1社を見つけて、その人とずっとやり取りするっていう感じでしたね。 飯野:いざこざもあったので(笑)そこの場所は結局断られました。たぶん大家がやばかったんだよな。多分客観的に見て、エリア的にも条件的にも1年で空室が何個も出るような所じゃないんですけど、結構空室出ていたんですよね。 メンバーシップ『限定動画 Vol.352|岩田×飯野のサシ呑み』より12:59あたりから新居探しについて語られている。 飯野:話をしに行ったときに普通じゃありえないくらい深ぼられたので、大家のせいじゃないかなって思ってます。 飯野:あと、元々不動産屋の方には自分がYouTube活動をしていることを伝えていなかったんです。でもなぜかバレたんですよね。知ってますよ、みたいな。 飯野:今の家を内見するまではずっとオンラインでやり取りしていたんだけど、すごい感じの良い人だったんですよ。でも初めて会った時に、「この間〇〇さんが来たんですよ。ちょうど僕が担当していて、家賃はこれくらいでしたよ」みたいな話をされたんですよね。ちょっときついなって思いました(笑)  飯野:というか、明日は我が身すぎて何にも言えなかったです。当時は良い人だと思っていたので、僕が聞いてしまっていたらしょうがない話なんですけど自分の中で聞いたつもりないので。たぶんあっちが勝手に言ってきたと思ってます(笑) ー物件が決定してからはスムーズに行えたのでしょうか。 飯野:そうですね。あとはほとんど1人で決めました。荷物も初日に土井谷と安西と河田が来てくれたくらいかな。 引っ越し当日の様子 飯野:あと部屋に壁紙を張ろうと思って、貼るタイプの壁紙を買っていたんですよ。それを土井谷と一緒に半日かけて貼りました。次の日見事に全部剝がれてましたね。急いで業者さんに連絡しました。壁紙は業者が良いっぽいです。 飯野:家具もテレビを実家から持ってきたくらいで、他は全部新しく買いました。結構しましたよ。ちょうど全財産が消えました(笑) ーその中でお気に入りの家具などはありますか? 飯野:マットレスですかね。NIHON BEDのマットレスなんですけど、20万円くらいしました。それくらいですかね。キッチンも、自炊しないのでコップが3つあるくらい。皿もないです(笑)  飯野こだわりのマットレスを使用したベッド周り 飯野:基本外で食べるかUberEatsを使っちゃうので。自炊はめんどくさいのでやらないです。それとまだ洗濯機を買えてないんですよね。お金がなかったせいで。 飯野:あと部屋を緑にしたかったんです。だから観葉植物とか置いてあるっていう感じですかね。緑というか色があるものをたくさん置きたいんですよ。カラフルにしたくて。 飯野:当時は本当にお金がなかったのであまり買えなかったんですけど、もう復活してるので(笑)洗濯機を買って、そのあと絵とかなにか買えればいいなって思ってます。 おしゃれにまとめられたリビング ー1人暮らしを始めたことで変化したことはありますか?...

【Vol.67】飯野の1人暮らしを追え!|ユニークレポート

今年2月。だいにぐるーぷのスタッフである安西をはじめとし、引っ越しラッシュが続いていた。 ”先に実家を出るのは俺だ”と譲れない戦いも起きていた中、大々的にせずこの男も二度目の独り立ちを遂げていたのである。 今回はそんな飯野へ現在の1人暮らしの状況に迫った。 ー1人暮らしを決めた経緯を教えてください。 飯野:ちょっともう、さすがに出たいなと思ったからです。実家は楽ですけど、いつまで居てもしょうがないので。 ーいつ頃から考えられていましたか? 飯野:去年の9月10月くらいだった気がします。物件探しにめちゃくちゃ時間がかかりましたよ。3ヶ月くらい探してたんじゃないかな。 サブチャンネルで初お披露目となった飯野の自宅 飯野:最初は割とまったり探してたんだけど、結構無理そうな気配がしてきたんですよね。だから一旦5社ぐらいの不動産屋さんにこういう感じの条件で探してくださいって言って、バトルロワイヤルじゃないけど1番ちゃんとやってくれる1社を見つけて、その人とずっとやり取りするっていう感じでしたね。 飯野:いざこざもあったので(笑)そこの場所は結局断られました。たぶん大家がやばかったんだよな。多分客観的に見て、エリア的にも条件的にも1年で空室が何個も出るような所じゃないんですけど、結構空室出ていたんですよね。 メンバーシップ『限定動画 Vol.352|岩田×飯野のサシ呑み』より12:59あたりから新居探しについて語られている。 飯野:話をしに行ったときに普通じゃありえないくらい深ぼられたので、大家のせいじゃないかなって思ってます。 飯野:あと、元々不動産屋の方には自分がYouTube活動をしていることを伝えていなかったんです。でもなぜかバレたんですよね。知ってますよ、みたいな。 飯野:今の家を内見するまではずっとオンラインでやり取りしていたんだけど、すごい感じの良い人だったんですよ。でも初めて会った時に、「この間〇〇さんが来たんですよ。ちょうど僕が担当していて、家賃はこれくらいでしたよ」みたいな話をされたんですよね。ちょっときついなって思いました(笑)  飯野:というか、明日は我が身すぎて何にも言えなかったです。当時は良い人だと思っていたので、僕が聞いてしまっていたらしょうがない話なんですけど自分の中で聞いたつもりないので。たぶんあっちが勝手に言ってきたと思ってます(笑) ー物件が決定してからはスムーズに行えたのでしょうか。 飯野:そうですね。あとはほとんど1人で決めました。荷物も初日に土井谷と安西と河田が来てくれたくらいかな。 引っ越し当日の様子 飯野:あと部屋に壁紙を張ろうと思って、貼るタイプの壁紙を買っていたんですよ。それを土井谷と一緒に半日かけて貼りました。次の日見事に全部剝がれてましたね。急いで業者さんに連絡しました。壁紙は業者が良いっぽいです。 飯野:家具もテレビを実家から持ってきたくらいで、他は全部新しく買いました。結構しましたよ。ちょうど全財産が消えました(笑) ーその中でお気に入りの家具などはありますか? 飯野:マットレスですかね。NIHON BEDのマットレスなんですけど、20万円くらいしました。それくらいですかね。キッチンも、自炊しないのでコップが3つあるくらい。皿もないです(笑)  飯野こだわりのマットレスを使用したベッド周り 飯野:基本外で食べるかUberEatsを使っちゃうので。自炊はめんどくさいのでやらないです。それとまだ洗濯機を買えてないんですよね。お金がなかったせいで。 飯野:あと部屋を緑にしたかったんです。だから観葉植物とか置いてあるっていう感じですかね。緑というか色があるものをたくさん置きたいんですよ。カラフルにしたくて。 飯野:当時は本当にお金がなかったのであまり買えなかったんですけど、もう復活してるので(笑)洗濯機を買って、そのあと絵とかなにか買えればいいなって思ってます。 おしゃれにまとめられたリビング ー1人暮らしを始めたことで変化したことはありますか?...

【Vol.66】「世界滅亡ドッキリ」上映会後レポート後編|上映会後レポート

【Vol.66】「世界滅亡ドッキリ」上映会後レポート後編|上映会後レポート

後編として岩田、須藤に各公演〜日本縦断旅を通して何を感じたのかを中心に話を聞いた記事をお届けする。 ―公演の中で印象に残っている登壇はありますか? 岩田:基本的に各公演、キャストの方たちが来てくれて、作品の感想を聞けたのがまず嬉しかったんですが、その中でも印象に残っているのは日向役の水崎綾女さんが登壇もしてくれた大阪公演ですかね。 2025年5月31日、大阪で行われた上映会 岩田:水崎さんは大阪公演で初めて作品の完成版を観てくれて、「編集もそうだし、最後の仕上がりもすごかったです」と話してくれました。 岩田:水崎さんをはじめとした、映像の第一線で活躍している方々に面白いと思ってもらいたいという思いで編集していたので、すごく嬉しかったです。 水崎綾女(みさきあやめ)今際の国のアリスやシティーハンターなど数々の作品に出演。”キューティーハニー”への出演をきっかけにアクションに目覚め、アクションと歌を得意とする。趣味は麻雀、釣り、ゴルフ。 須藤:僕は名古屋公演ですかね。関係者繋がりでいうと、議会の司会者役で出演してくれていた岡本さんが来てくれて、感想をいただいたんですよ。 須藤:僕らより年代も結構上の方なんですけど、そんな方が真面目な顔をして、感極まりながら「本当にすごかったよ」とお褒めの言葉をくださって、すごく嬉しかったですね。 須藤:僕は作品内でしか関われていなかったので、マスターの右腕の「すごくルールの厳しいお堅い人」っていう印象だったのもあって、いただいた言葉の一つ一つが響きました。 『世界滅亡ドッキリ|日本を裏から動かす秘密の街【Part2】』よりマスターの下で議会の進行役を担う岡田役を演じた、岡本告狛(おかもとこくはく)さん ―今回皆さんは「日本縦断旅」に挑み、普段交流の少ない地域のファンと交流したと思います。感想を教えてください。 岩田:振り返ると、すごく大変ではあったんですけど、それ以上にやってよかったなと感動しています。 岩田:行き当たりばったりで、メンバー5人で出かけるということ自体が、すごく久しぶりで、昔遊んでいたあの頃のことを思い出して、楽しかったなというのがまず一つです。 岩田:それに加えて、出会った方々と関わることで、この関係性を尊いと思って、こんなに愛してくれている人たちが、こんなにもいるんだと思いました。とても感謝しています。 岩田:忙しかったり、疲れていたりすると、こういう大切な部分って、忘れてしまいがちだったなっていう反省があって、今自分たちが置かれている状況って、決して当たり前ではなくて、すごく心に来るものがありました。 須藤:僕も岩田とほぼ同じことを思っているんですけど、忘れていた人の温かみみたいなものを思い出しました。テレビ番組で言うと「田舎に泊まろう」みたいな感じです。 ―印象に残った場所はありますか? 岩田:広島愛媛ですね。全く行ったことのない地域で、「マジで誰がくるの?」みたいな場所だったし、Xも2〜3人ぐらいしか反応していなかったんですよ。 岩田:でも会場についたら、20〜40組くらい集まってくれていて、初めましての方がほとんどだったので、こんなに応援してくれている人たちがいるんだと、シンプルに嬉しかったですね。 縦断旅1日目・富久重(愛媛県) 須藤:僕は宮城と岐阜ですね。場所を提供してくれたオーナーさんが、色々な事を無償で手伝ってくれて、車でしかこれないような場所なのに、そこに集まってくれた近隣の方々がいて、ただただ幸せな空間でしたし、日本中に僕らのことを応援してくれている方々がいることを改めて思いました。 縦断旅2日目・ロッヂ岐阜(岐阜県) 岩田:昔、心霊企画をやっていた時代って、そこに視聴者が来て、その人たちがきっかけで企画の流れが決まってくることが多くて、「今回はその感じに近いね」とメンバー内で話していました。 『心霊スポットで1週間生活してみた。【最終日】』より ―その感覚は今後の企画構想に活きてきそうですか? 岩田:本当に久々の感覚でしたし、最近はしっかり準備して撮影に臨んでいるので、それもいいんですが、昔のような体当たり企画もやりたいなと思いました。 ―最後に観にきてくれた方々にメッセージをお願いします。 岩田:ここ1か月間、思っていたことなんですが、普段僕らは、YouTubeに動画を上げて、再生回数とかいいねの数とかだけでしか反応を見れていなかったけど、上映会と今回の日本縦断旅を通して、画面の向こうにはちゃんと人がいるんだっていうことを再認識できました。 岩田:広島に行ったとき、約50人くらいの人たちが直接会いに来てくれて、その一人ひとりが動画を見てくれてたんだなって思ったら、再生数の重みが全然変わって思えたんですよね。...

【Vol.66】「世界滅亡ドッキリ」上映会後レポート後編|上映会後レポート

後編として岩田、須藤に各公演〜日本縦断旅を通して何を感じたのかを中心に話を聞いた記事をお届けする。 ―公演の中で印象に残っている登壇はありますか? 岩田:基本的に各公演、キャストの方たちが来てくれて、作品の感想を聞けたのがまず嬉しかったんですが、その中でも印象に残っているのは日向役の水崎綾女さんが登壇もしてくれた大阪公演ですかね。 2025年5月31日、大阪で行われた上映会 岩田:水崎さんは大阪公演で初めて作品の完成版を観てくれて、「編集もそうだし、最後の仕上がりもすごかったです」と話してくれました。 岩田:水崎さんをはじめとした、映像の第一線で活躍している方々に面白いと思ってもらいたいという思いで編集していたので、すごく嬉しかったです。 水崎綾女(みさきあやめ)今際の国のアリスやシティーハンターなど数々の作品に出演。”キューティーハニー”への出演をきっかけにアクションに目覚め、アクションと歌を得意とする。趣味は麻雀、釣り、ゴルフ。 須藤:僕は名古屋公演ですかね。関係者繋がりでいうと、議会の司会者役で出演してくれていた岡本さんが来てくれて、感想をいただいたんですよ。 須藤:僕らより年代も結構上の方なんですけど、そんな方が真面目な顔をして、感極まりながら「本当にすごかったよ」とお褒めの言葉をくださって、すごく嬉しかったですね。 須藤:僕は作品内でしか関われていなかったので、マスターの右腕の「すごくルールの厳しいお堅い人」っていう印象だったのもあって、いただいた言葉の一つ一つが響きました。 『世界滅亡ドッキリ|日本を裏から動かす秘密の街【Part2】』よりマスターの下で議会の進行役を担う岡田役を演じた、岡本告狛(おかもとこくはく)さん ―今回皆さんは「日本縦断旅」に挑み、普段交流の少ない地域のファンと交流したと思います。感想を教えてください。 岩田:振り返ると、すごく大変ではあったんですけど、それ以上にやってよかったなと感動しています。 岩田:行き当たりばったりで、メンバー5人で出かけるということ自体が、すごく久しぶりで、昔遊んでいたあの頃のことを思い出して、楽しかったなというのがまず一つです。 岩田:それに加えて、出会った方々と関わることで、この関係性を尊いと思って、こんなに愛してくれている人たちが、こんなにもいるんだと思いました。とても感謝しています。 岩田:忙しかったり、疲れていたりすると、こういう大切な部分って、忘れてしまいがちだったなっていう反省があって、今自分たちが置かれている状況って、決して当たり前ではなくて、すごく心に来るものがありました。 須藤:僕も岩田とほぼ同じことを思っているんですけど、忘れていた人の温かみみたいなものを思い出しました。テレビ番組で言うと「田舎に泊まろう」みたいな感じです。 ―印象に残った場所はありますか? 岩田:広島愛媛ですね。全く行ったことのない地域で、「マジで誰がくるの?」みたいな場所だったし、Xも2〜3人ぐらいしか反応していなかったんですよ。 岩田:でも会場についたら、20〜40組くらい集まってくれていて、初めましての方がほとんどだったので、こんなに応援してくれている人たちがいるんだと、シンプルに嬉しかったですね。 縦断旅1日目・富久重(愛媛県) 須藤:僕は宮城と岐阜ですね。場所を提供してくれたオーナーさんが、色々な事を無償で手伝ってくれて、車でしかこれないような場所なのに、そこに集まってくれた近隣の方々がいて、ただただ幸せな空間でしたし、日本中に僕らのことを応援してくれている方々がいることを改めて思いました。 縦断旅2日目・ロッヂ岐阜(岐阜県) 岩田:昔、心霊企画をやっていた時代って、そこに視聴者が来て、その人たちがきっかけで企画の流れが決まってくることが多くて、「今回はその感じに近いね」とメンバー内で話していました。 『心霊スポットで1週間生活してみた。【最終日】』より ―その感覚は今後の企画構想に活きてきそうですか? 岩田:本当に久々の感覚でしたし、最近はしっかり準備して撮影に臨んでいるので、それもいいんですが、昔のような体当たり企画もやりたいなと思いました。 ―最後に観にきてくれた方々にメッセージをお願いします。 岩田:ここ1か月間、思っていたことなんですが、普段僕らは、YouTubeに動画を上げて、再生回数とかいいねの数とかだけでしか反応を見れていなかったけど、上映会と今回の日本縦断旅を通して、画面の向こうにはちゃんと人がいるんだっていうことを再認識できました。 岩田:広島に行ったとき、約50人くらいの人たちが直接会いに来てくれて、その一人ひとりが動画を見てくれてたんだなって思ったら、再生数の重みが全然変わって思えたんですよね。...

【Vol.65】「世界滅亡ドッキリ」上映会後レポート前編|上映会後レポート

【Vol.65】「世界滅亡ドッキリ」上映会後レポート前編|上映会後レポート

上映前のインタビューにて、今回の企画はとても自信があるので、上映会にきてぜひ観てほしいと話した岩田と、今回のドッキリのターゲットとなっていた須藤の2人に、上映会ツアーが終了して間もない今の気持ちを話してもらった。 ―上映会ツアーが終了して間もない今、率直な感想を教えてください。 須藤:僕がこの作品自体を作ったわけではないから「俺が本当にこの場所に立っていいのか」みたいな不思議な感覚になりながら登壇では、「無意識に皆さんの事を笑わせることができたなら嬉しいです」と皆さんに向けて話していましたね。 須藤:今までの企画は、企画として知って参加しているから、ちょっと無意識に自分を作ってしまうことがあったんですけど、今回は仕事ではないと思って参加していたので、そんな気持ちになったのかなと思います。 須藤:ですが、いつも通り楽しい上映会でした。 岩田:上映後物販だったりアンケートなどを見ていると、笑ったり泣いたり、感情がジェットコースターみたいでしたみたいなコメントが多くて、「劇場版クレヨンしんちゃん的なところに全て内包されるドッキリ」だと感じているとマガジンで話したんですが、その狙っていた思惑が、見に来てくれた方に刺さっていたなと感じましたね。 上映会の入場特典として配布された”DAI 2 MAGAZINE Vol.5"こちらは6/30(月)までメンバーシップ会員限定で無料配布の申し込みを受け付けている。 岩田:いつも編集とか撮影の時間があまりなかったり、最初の構想から何か妥協しなきゃいけない場面って結構多いんです。 岩田:それで言うと今回の企画は、一番妥協せずに完成まで持っていけたなって思っていて、特に編集を本当に妥協しなかったからこそ、自分で見ていても、ここ直したいなみたいなのがそこまでなかったという面では結構いいものができたなって思っています。 岩田:ただ特大ホームランを打てた感覚ではなくて、催眠術の浸透の部分だったり、新しいものを作れて、それが受け入れられたなっていう感覚はあるんですけど、新しいから面白いっていうのであって、作品としてとんでもなくすごいみたいな肌感はあまりないですね。 ―上映後物販で作品を見てくれた視聴者の方々からは、どんな声が多かったですか? 岩田:上映後物販では、白い部屋でのシーンで泣いちゃいましたっていう声が多かったですね。これは僕がここで泣かせにいこうと考えていたシーンでした。 岩田:だいにを知っている人なら、僕らの関係性で、逆にあまり知らない人には家族との関係性のところで感情が揺れ動くと思っていたので、狙いがうまくはまったなと感じましたね。 メインチャンネル『世界滅亡ドッキリ|日本の未来を決める1票【Part5】』より須藤が夢の中で家族とメンバーたちに別れを告げるシーン 須藤:僕もそこのシーンで泣きましたって声が多かったんですけど、逆に僕がそれを初めて観る視聴者なら、ここで泣かせにきてるなっていう編集が丸わかりで、逆に冷めると思うので、岩田にはもうちょっと努力してほしいですね(笑) ―改めて今回の企画を終えて、観た方に一番伝えたいメッセージを教えてください。 岩田:今回の作品には、自分が今考えていることをたくさん詰め込みました。テーマとしては「正義とは何か」という問いが根底にあります。誰が悪くて誰が正しいのかは、立場や守りたいものによって、まったく変わってくると思うんです。 岩田:特に、決断を迫られる立場にいる人の重圧は計り知れないと思います。どちらを選んでも批判されるような状況でも、何かを決めなくてはいけないんです。そのときこそ、人は「自分の正義」を持って向き合うしかない。正義同士がぶつかることもあるし、絶対的な答えはないんです。 『世界滅亡ドッキリ|トロッコ問題【Part4】』より 岩田:だからこそ、この作品の中で須藤という存在が、自分たち(観てくれた方々)と同じ目線でそういった世界に入り込むことで、視聴者にも一度立ち止まって「自分だったらどうするか」、「正義とは何か」を考えてほしいんです。ただ観て終わるのではなく、何かが心に残る、そんなお土産を手渡せたら、という思いで作りました。 ―須藤さん自身、これはドッキリにかけられているかもしれないという感覚はありませんでしたか? 須藤:最初は鈴木おさむさんたちとの飲み会で、本当に鈴木おさむさんが都市伝説的な話を信じるのかなみたいな疑問はあったんですけど、バッジだったり話を聞いていくうちにその疑問はなくなって、次第に興味の方が強くなっていきました。 須藤:疑問が完全に消えたのは、フリーメイソンのグランドロッジ行のバスを自分の目で見たときですね。 『世界滅亡ドッキリ|秘密結社フリーメイソン行きのバス【Part1】』より ―その体験がドッキリだったと理解した直後の気持ちを教えて下さい。 須藤:もうYouTuberを仕事にして長いので、脳がすごくおかしくなってるのもあると思うんですけど、まず単純にすごい体験をさせてもらったなというのと、やめてくれっていう気持ちが半々でした(笑) ―東京爆破のニュースを催眠が解けていない状態で俯瞰してみたと思うのですが、どんな気持ちになりましたか?...

【Vol.65】「世界滅亡ドッキリ」上映会後レポート前編|上映会後レポート

上映前のインタビューにて、今回の企画はとても自信があるので、上映会にきてぜひ観てほしいと話した岩田と、今回のドッキリのターゲットとなっていた須藤の2人に、上映会ツアーが終了して間もない今の気持ちを話してもらった。 ―上映会ツアーが終了して間もない今、率直な感想を教えてください。 須藤:僕がこの作品自体を作ったわけではないから「俺が本当にこの場所に立っていいのか」みたいな不思議な感覚になりながら登壇では、「無意識に皆さんの事を笑わせることができたなら嬉しいです」と皆さんに向けて話していましたね。 須藤:今までの企画は、企画として知って参加しているから、ちょっと無意識に自分を作ってしまうことがあったんですけど、今回は仕事ではないと思って参加していたので、そんな気持ちになったのかなと思います。 須藤:ですが、いつも通り楽しい上映会でした。 岩田:上映後物販だったりアンケートなどを見ていると、笑ったり泣いたり、感情がジェットコースターみたいでしたみたいなコメントが多くて、「劇場版クレヨンしんちゃん的なところに全て内包されるドッキリ」だと感じているとマガジンで話したんですが、その狙っていた思惑が、見に来てくれた方に刺さっていたなと感じましたね。 上映会の入場特典として配布された”DAI 2 MAGAZINE Vol.5"こちらは6/30(月)までメンバーシップ会員限定で無料配布の申し込みを受け付けている。 岩田:いつも編集とか撮影の時間があまりなかったり、最初の構想から何か妥協しなきゃいけない場面って結構多いんです。 岩田:それで言うと今回の企画は、一番妥協せずに完成まで持っていけたなって思っていて、特に編集を本当に妥協しなかったからこそ、自分で見ていても、ここ直したいなみたいなのがそこまでなかったという面では結構いいものができたなって思っています。 岩田:ただ特大ホームランを打てた感覚ではなくて、催眠術の浸透の部分だったり、新しいものを作れて、それが受け入れられたなっていう感覚はあるんですけど、新しいから面白いっていうのであって、作品としてとんでもなくすごいみたいな肌感はあまりないですね。 ―上映後物販で作品を見てくれた視聴者の方々からは、どんな声が多かったですか? 岩田:上映後物販では、白い部屋でのシーンで泣いちゃいましたっていう声が多かったですね。これは僕がここで泣かせにいこうと考えていたシーンでした。 岩田:だいにを知っている人なら、僕らの関係性で、逆にあまり知らない人には家族との関係性のところで感情が揺れ動くと思っていたので、狙いがうまくはまったなと感じましたね。 メインチャンネル『世界滅亡ドッキリ|日本の未来を決める1票【Part5】』より須藤が夢の中で家族とメンバーたちに別れを告げるシーン 須藤:僕もそこのシーンで泣きましたって声が多かったんですけど、逆に僕がそれを初めて観る視聴者なら、ここで泣かせにきてるなっていう編集が丸わかりで、逆に冷めると思うので、岩田にはもうちょっと努力してほしいですね(笑) ―改めて今回の企画を終えて、観た方に一番伝えたいメッセージを教えてください。 岩田:今回の作品には、自分が今考えていることをたくさん詰め込みました。テーマとしては「正義とは何か」という問いが根底にあります。誰が悪くて誰が正しいのかは、立場や守りたいものによって、まったく変わってくると思うんです。 岩田:特に、決断を迫られる立場にいる人の重圧は計り知れないと思います。どちらを選んでも批判されるような状況でも、何かを決めなくてはいけないんです。そのときこそ、人は「自分の正義」を持って向き合うしかない。正義同士がぶつかることもあるし、絶対的な答えはないんです。 『世界滅亡ドッキリ|トロッコ問題【Part4】』より 岩田:だからこそ、この作品の中で須藤という存在が、自分たち(観てくれた方々)と同じ目線でそういった世界に入り込むことで、視聴者にも一度立ち止まって「自分だったらどうするか」、「正義とは何か」を考えてほしいんです。ただ観て終わるのではなく、何かが心に残る、そんなお土産を手渡せたら、という思いで作りました。 ―須藤さん自身、これはドッキリにかけられているかもしれないという感覚はありませんでしたか? 須藤:最初は鈴木おさむさんたちとの飲み会で、本当に鈴木おさむさんが都市伝説的な話を信じるのかなみたいな疑問はあったんですけど、バッジだったり話を聞いていくうちにその疑問はなくなって、次第に興味の方が強くなっていきました。 須藤:疑問が完全に消えたのは、フリーメイソンのグランドロッジ行のバスを自分の目で見たときですね。 『世界滅亡ドッキリ|秘密結社フリーメイソン行きのバス【Part1】』より ―その体験がドッキリだったと理解した直後の気持ちを教えて下さい。 須藤:もうYouTuberを仕事にして長いので、脳がすごくおかしくなってるのもあると思うんですけど、まず単純にすごい体験をさせてもらったなというのと、やめてくれっていう気持ちが半々でした(笑) ―東京爆破のニュースを催眠が解けていない状態で俯瞰してみたと思うのですが、どんな気持ちになりましたか?...

【Vol.64】独学におけるCGのすゝめ

【Vol.64】独学におけるCGのすゝめ

圧倒的な編集力を武器として現代の映像業界へ名を連ねるだいにぐるーぷ。彼らの作品を見た人ならば1度は感じるであろう、彼らが作るCG映像への迫力、感動を。 今回はその映像を手掛ける西尾知之へ、CGに対する思いを取材した。 ーCGを勉強しようと決めたきっかけを教えてください。 西尾:2018年くらいですかね。 西尾:だいにぐるーぷとして企画力はあったとしても、その企画に見合った編集ができているかっていう時に、他の動画編集者の情報を調べると、僕たちと違う編集ソフトを使っていたりするんですよね。そのソフトを使える人がだいににはいなかったんです。 西尾:そういう人が1人でもいた方が、より動画のクオリティ上がるよね。っていう考えから勉強し始めたと思います。 2018年、彼らが日の目を浴びるきっかけとなった心霊スポット生活第1弾。当時の編集を見て「このままではYouTuberで終わってしまう」と感じたようだ。 西尾:最初は3DCGに触れる想定はなかったんです。でもテレビっぽい編集とかを見たときに、そこまでの技術力がだいににはないよなって感じていました。 西尾:テレビのクオリティに近づきたいなっていう思いもありましたし。やっぱりテレビに憧れを持つ僕らからすると、少しでも近づきたいなっていう気持ちがありました。 ーなにか目標にされていた番組はあったのでしょうか。 西尾:僕らとしてはやっぱり水曜日のダウンタウンが昔から好きですね(笑) ナレーションテロップとか、いろいろ意識することが多かったんじゃないかな。 サブチャンネル『サブチャンネルが生まれ変わります』より。画像は水曜日違いのオマージュだが、オマージュの天才・服部の参入によってTVっぽさが増した。 ー具体的な勉強方法について教えてください。 西尾:最初はいきなりアニメーションやろうっていうよりかは、どのツールを勉強すべきかを調べました。僕たちは動画系なのでまずは動画を作れるようになろうっていうことでAfter Effectsっていうものをちょっといじってみるか、みたいなものから始まりましたね。 西尾:当時全然お金がなかったんです(笑)CGの講座って大体2万5000円くらいの価格で決める人が多いんですよ。 西尾:でも僕が使っていたUdemyは毎週のようにセールをやっていたんですよ(笑) その期間は何かあっても1800円っていうことをいつもやってるんです。めちゃくちゃ安くて助かりました(笑) とんでもない割引率のセールが定期的に開催されるUdemy ー講座ということは映像授業的なものだったのでしょうか? 西尾:そうですね。講座によってはまずツールの使い方から、基礎中の基礎からやっていきましょうっていうものから始めました。 西尾:操作方法とか、本当のソフト画面があったとき、どうしたらいいのかわからないじゃないですか。そのことについて細かくまとめた情報のものが10時間の授業みたいにあったりするんですよ。 Udemyではこのように細かくソフトの操作方法からの講座が多数存在している。 西尾:それを見て使い方を理解したら次はこういう映像を作るにはどうすればいいのかっていうのに対して別の講座を購入するっていう進め方でしたね。 西尾:浪人時代に映像授業で勉強していたり、倍速して見れることもあったので10時間くらいの長さがあったとしてもそんなに気にならなかったですね。勉強時間の合計は多分3000時間くらいじゃないかな。 ーその基礎から応用がなされていったと。 西尾:そういうことです。”廃工場貸し切って、本気のサバゲーやってみた”から3DCGを使い始めました。 西尾:今だとサブスクリプションに加入していればそこの映像素材とか利用できるんですけど、当時は入っていなかったのでサバゲーのデジタルっぽい動きや表現も1から手作業で行ってましたね。 ーその後多くの企画で3DCGを使用した作品がありましたが、1番熱が入った作品はどれでしょうか。 西尾:やっぱり”無人島バトルロワイアル”じゃないですかね。...

【Vol.64】独学におけるCGのすゝめ

圧倒的な編集力を武器として現代の映像業界へ名を連ねるだいにぐるーぷ。彼らの作品を見た人ならば1度は感じるであろう、彼らが作るCG映像への迫力、感動を。 今回はその映像を手掛ける西尾知之へ、CGに対する思いを取材した。 ーCGを勉強しようと決めたきっかけを教えてください。 西尾:2018年くらいですかね。 西尾:だいにぐるーぷとして企画力はあったとしても、その企画に見合った編集ができているかっていう時に、他の動画編集者の情報を調べると、僕たちと違う編集ソフトを使っていたりするんですよね。そのソフトを使える人がだいににはいなかったんです。 西尾:そういう人が1人でもいた方が、より動画のクオリティ上がるよね。っていう考えから勉強し始めたと思います。 2018年、彼らが日の目を浴びるきっかけとなった心霊スポット生活第1弾。当時の編集を見て「このままではYouTuberで終わってしまう」と感じたようだ。 西尾:最初は3DCGに触れる想定はなかったんです。でもテレビっぽい編集とかを見たときに、そこまでの技術力がだいににはないよなって感じていました。 西尾:テレビのクオリティに近づきたいなっていう思いもありましたし。やっぱりテレビに憧れを持つ僕らからすると、少しでも近づきたいなっていう気持ちがありました。 ーなにか目標にされていた番組はあったのでしょうか。 西尾:僕らとしてはやっぱり水曜日のダウンタウンが昔から好きですね(笑) ナレーションテロップとか、いろいろ意識することが多かったんじゃないかな。 サブチャンネル『サブチャンネルが生まれ変わります』より。画像は水曜日違いのオマージュだが、オマージュの天才・服部の参入によってTVっぽさが増した。 ー具体的な勉強方法について教えてください。 西尾:最初はいきなりアニメーションやろうっていうよりかは、どのツールを勉強すべきかを調べました。僕たちは動画系なのでまずは動画を作れるようになろうっていうことでAfter Effectsっていうものをちょっといじってみるか、みたいなものから始まりましたね。 西尾:当時全然お金がなかったんです(笑)CGの講座って大体2万5000円くらいの価格で決める人が多いんですよ。 西尾:でも僕が使っていたUdemyは毎週のようにセールをやっていたんですよ(笑) その期間は何かあっても1800円っていうことをいつもやってるんです。めちゃくちゃ安くて助かりました(笑) とんでもない割引率のセールが定期的に開催されるUdemy ー講座ということは映像授業的なものだったのでしょうか? 西尾:そうですね。講座によってはまずツールの使い方から、基礎中の基礎からやっていきましょうっていうものから始めました。 西尾:操作方法とか、本当のソフト画面があったとき、どうしたらいいのかわからないじゃないですか。そのことについて細かくまとめた情報のものが10時間の授業みたいにあったりするんですよ。 Udemyではこのように細かくソフトの操作方法からの講座が多数存在している。 西尾:それを見て使い方を理解したら次はこういう映像を作るにはどうすればいいのかっていうのに対して別の講座を購入するっていう進め方でしたね。 西尾:浪人時代に映像授業で勉強していたり、倍速して見れることもあったので10時間くらいの長さがあったとしてもそんなに気にならなかったですね。勉強時間の合計は多分3000時間くらいじゃないかな。 ーその基礎から応用がなされていったと。 西尾:そういうことです。”廃工場貸し切って、本気のサバゲーやってみた”から3DCGを使い始めました。 西尾:今だとサブスクリプションに加入していればそこの映像素材とか利用できるんですけど、当時は入っていなかったのでサバゲーのデジタルっぽい動きや表現も1から手作業で行ってましたね。 ーその後多くの企画で3DCGを使用した作品がありましたが、1番熱が入った作品はどれでしょうか。 西尾:やっぱり”無人島バトルロワイアル”じゃないですかね。...