REPORT
【Vol.64】独学におけるCGのすゝめ
圧倒的な編集力を武器として現代の映像業界へ名を連ねるだいにぐるーぷ。彼らの作品を見た人ならば1度は感じるであろう、彼らが作るCG映像への迫力、感動を。 今回はその映像を手掛ける西尾知之へ、CGに対する思いを取材した。 ーCGを勉強しようと決めたきっかけを教えてください。 西尾:2018年くらいですかね。 西尾:だいにぐるーぷとして企画力はあったとしても、その企画に見合った編集ができているかっていう時に、他の動画編集者の情報を調べると、僕たちと違う編集ソフトを使っていたりするんですよね。そのソフトを使える人がだいににはいなかったんです。 西尾:そういう人が1人でもいた方が、より動画のクオリティ上がるよね。っていう考えから勉強し始めたと思います。 2018年、彼らが日の目を浴びるきっかけとなった心霊スポット生活第1弾。当時の編集を見て「このままではYouTuberで終わってしまう」と感じたようだ。 西尾:最初は3DCGに触れる想定はなかったんです。でもテレビっぽい編集とかを見たときに、そこまでの技術力がだいににはないよなって感じていました。 西尾:テレビのクオリティに近づきたいなっていう思いもありましたし。やっぱりテレビに憧れを持つ僕らからすると、少しでも近づきたいなっていう気持ちがありました。 ーなにか目標にされていた番組はあったのでしょうか。 西尾:僕らとしてはやっぱり水曜日のダウンタウンが昔から好きですね(笑) ナレーションテロップとか、いろいろ意識することが多かったんじゃないかな。 サブチャンネル『サブチャンネルが生まれ変わります』より。画像は水曜日違いのオマージュだが、オマージュの天才・服部の参入によってTVっぽさが増した。 ー具体的な勉強方法について教えてください。 西尾:最初はいきなりアニメーションやろうっていうよりかは、どのツールを勉強すべきかを調べました。僕たちは動画系なのでまずは動画を作れるようになろうっていうことでAfter Effectsっていうものをちょっといじってみるか、みたいなものから始まりましたね。 西尾:当時全然お金がなかったんです(笑)CGの講座って大体2万5000円くらいの価格で決める人が多いんですよ。 西尾:でも僕が使っていたUdemyは毎週のようにセールをやっていたんですよ(笑) その期間は何かあっても1800円っていうことをいつもやってるんです。めちゃくちゃ安くて助かりました(笑) とんでもない割引率のセールが定期的に開催されるUdemy ー講座ということは映像授業的なものだったのでしょうか? 西尾:そうですね。講座によってはまずツールの使い方から、基礎中の基礎からやっていきましょうっていうものから始めました。 西尾:操作方法とか、本当のソフト画面があったとき、どうしたらいいのかわからないじゃないですか。そのことについて細かくまとめた情報のものが10時間の授業みたいにあったりするんですよ。 Udemyではこのように細かくソフトの操作方法からの講座が多数存在している。 西尾:それを見て使い方を理解したら次はこういう映像を作るにはどうすればいいのかっていうのに対して別の講座を購入するっていう進め方でしたね。 西尾:浪人時代に映像授業で勉強していたり、倍速して見れることもあったので10時間くらいの長さがあったとしてもそんなに気にならなかったですね。勉強時間の合計は多分3000時間くらいじゃないかな。 ーその基礎から応用がなされていったと。 西尾:そういうことです。”廃工場貸し切って、本気のサバゲーやってみた”から3DCGを使い始めました。 西尾:今だとサブスクリプションに加入していればそこの映像素材とか利用できるんですけど、当時は入っていなかったのでサバゲーのデジタルっぽい動きや表現も1から手作業で行ってましたね。 ーその後多くの企画で3DCGを使用した作品がありましたが、1番熱が入った作品はどれでしょうか。 西尾:やっぱり”無人島バトルロワイアル”じゃないですかね。...
【Vol.64】独学におけるCGのすゝめ
圧倒的な編集力を武器として現代の映像業界へ名を連ねるだいにぐるーぷ。彼らの作品を見た人ならば1度は感じるであろう、彼らが作るCG映像への迫力、感動を。 今回はその映像を手掛ける西尾知之へ、CGに対する思いを取材した。 ーCGを勉強しようと決めたきっかけを教えてください。 西尾:2018年くらいですかね。 西尾:だいにぐるーぷとして企画力はあったとしても、その企画に見合った編集ができているかっていう時に、他の動画編集者の情報を調べると、僕たちと違う編集ソフトを使っていたりするんですよね。そのソフトを使える人がだいににはいなかったんです。 西尾:そういう人が1人でもいた方が、より動画のクオリティ上がるよね。っていう考えから勉強し始めたと思います。 2018年、彼らが日の目を浴びるきっかけとなった心霊スポット生活第1弾。当時の編集を見て「このままではYouTuberで終わってしまう」と感じたようだ。 西尾:最初は3DCGに触れる想定はなかったんです。でもテレビっぽい編集とかを見たときに、そこまでの技術力がだいににはないよなって感じていました。 西尾:テレビのクオリティに近づきたいなっていう思いもありましたし。やっぱりテレビに憧れを持つ僕らからすると、少しでも近づきたいなっていう気持ちがありました。 ーなにか目標にされていた番組はあったのでしょうか。 西尾:僕らとしてはやっぱり水曜日のダウンタウンが昔から好きですね(笑) ナレーションテロップとか、いろいろ意識することが多かったんじゃないかな。 サブチャンネル『サブチャンネルが生まれ変わります』より。画像は水曜日違いのオマージュだが、オマージュの天才・服部の参入によってTVっぽさが増した。 ー具体的な勉強方法について教えてください。 西尾:最初はいきなりアニメーションやろうっていうよりかは、どのツールを勉強すべきかを調べました。僕たちは動画系なのでまずは動画を作れるようになろうっていうことでAfter Effectsっていうものをちょっといじってみるか、みたいなものから始まりましたね。 西尾:当時全然お金がなかったんです(笑)CGの講座って大体2万5000円くらいの価格で決める人が多いんですよ。 西尾:でも僕が使っていたUdemyは毎週のようにセールをやっていたんですよ(笑) その期間は何かあっても1800円っていうことをいつもやってるんです。めちゃくちゃ安くて助かりました(笑) とんでもない割引率のセールが定期的に開催されるUdemy ー講座ということは映像授業的なものだったのでしょうか? 西尾:そうですね。講座によってはまずツールの使い方から、基礎中の基礎からやっていきましょうっていうものから始めました。 西尾:操作方法とか、本当のソフト画面があったとき、どうしたらいいのかわからないじゃないですか。そのことについて細かくまとめた情報のものが10時間の授業みたいにあったりするんですよ。 Udemyではこのように細かくソフトの操作方法からの講座が多数存在している。 西尾:それを見て使い方を理解したら次はこういう映像を作るにはどうすればいいのかっていうのに対して別の講座を購入するっていう進め方でしたね。 西尾:浪人時代に映像授業で勉強していたり、倍速して見れることもあったので10時間くらいの長さがあったとしてもそんなに気にならなかったですね。勉強時間の合計は多分3000時間くらいじゃないかな。 ーその基礎から応用がなされていったと。 西尾:そういうことです。”廃工場貸し切って、本気のサバゲーやってみた”から3DCGを使い始めました。 西尾:今だとサブスクリプションに加入していればそこの映像素材とか利用できるんですけど、当時は入っていなかったのでサバゲーのデジタルっぽい動きや表現も1から手作業で行ってましたね。 ーその後多くの企画で3DCGを使用した作品がありましたが、1番熱が入った作品はどれでしょうか。 西尾:やっぱり”無人島バトルロワイアル”じゃないですかね。...
【Vol.63】須藤・じゅんやのサッカートーク|ユニークレポート
東京世代ーー 1997年1月1日から2000年12月31日までに生まれた人を、サッカー界において、そう呼称する。 これは、オリンピックの男子サッカー競技に年齢制限(23歳以下)が設けられていることに起因しており、世代毎に参加資格を満たす大会を用いて、そのように表現される。 日本代表の東京世代としてはDF板倉滉やMF堂安律、MF三笘薫らが挙げられるほか、世界を見渡しても、FWキリアン・エンバペなどの傑出した才能の持ち主が集まっている。まさにこの世代は、“ゴールデンエイジ”なのだ。 DAZN NEWS『【サッカー日本代表】東京五輪はU-24で決定!注目される東京五輪世代100人リスト | 大会日程 | 年齢制限』より引用 そして、この黄金世代と同世代のYouTuberが、千葉県・津田沼にいる。中学校の同級生たちで結成された、だいにぐるーぷだ。 なかでも、須藤祥と永徳隼也はサッカー経験者であり、前者は「選手歴は小学2年生から中学3年生までで、主にフォワードやトップ下」、後者は「小学3年生から高校3年生までで、主にサイドバックやサイドハーフ」という。 もしかすると、YouTubeでの“金盾”ではなく、東京五輪での“金メダル”を目指して三笘らとプレーしていた…というIfの世界も排除できなくはないだろう。今回は、そんな中学時代のチームメイトによる、サッカー談議をお楽しみいただきたい。 ―サッカー少年だったおふたりは、どのような選手でしたか? じゅんや:僕は足が速かったので、始めた頃はセンターバックでしたが、小6のときの顧問の先生に、その足の速さを他で活かした方がいいんじゃないかと言われて、サイドハーフ、サイドバックに転向しました。それ以降は変わらず、という感じです。 じゅんや:あと、小学生の頃は、中村憲剛選手が好きでしたね。背番号が『14』だったんですけど、僕も『14』でそこもちょっと好きで。最近は、伊東純也選手が『14』つけてて、それに足が速くてサイドハーフで、名前も『じゅんや』で一緒で、めちゃくちゃ運命を感じています。 じゅんやが運命を感じた伊藤純也。画像は本人のXより引用。 須藤:俺は、ゴールは狙うけどどっちかというとドリブルの方が好きだったので、そうだなネイマール選手とかを参考にしていたかな。ゴールより人を抜いてる方が好きでした。 須藤:結構狭いエリアで敵と戦うのが好きで、1対1というよりも複数人を相手にしてました。なんか中1の頃は、監督が僕のことを好きでいてくれたんですよ。中3の試合にも結構出してくれてて。 須藤:ただ、さすがに中3の試合に出てた時はちょっと怖かったんで、そんなにドリブルせずに安牌のパスばっかりしてましたね(笑) ドリブルをする幼少期の須藤。この記事のためにアルバムから幼少期の写真を引っ張り出してきてくれた。 Q:サッカー部時代の印象に残っているエピソードはありますか? じゅんや:小学校は別だったんですけど、敵チームで対戦していたので、須藤のことを覚えていました、僕は。トップに、背は小さいけど足元超うまいやついたなと思っていたら、中学で再会したので、「あっ、コイツか」と。当の須藤は覚えていなくて、お前しらねぇよ、と言われたんですけどね。 須藤:えっ、俺そんな威圧的だった!? 須藤:俺は、中3くらいで挫折したんですよ。監督が変わって、その人は、誰かを好んで使うタイプじゃなくて、ちゃんと戦術家というか。そのときのポジションや役割に合った選手を起用する、という監督だったので。 須藤:最初に言われたのが、「お前はドリブルはまあまあ良いんだけど、身体小さくてフィジカルで負けるかな」で、それがショックすぎて…。そこから試合に徐々に出してもらえなくて、ピッチの外でグレてた奴と一緒にグレてました。 幼少期は有馬も一緒にサッカーをしていた。 須藤:中3のときはほとんどBチームで、たまにAチームという感じ。最後の大会も本当に出てなくて。じゅんやは、もうレギュラーにしがみついていたから、安牌のパスばっかりでしたが。 じゅんや:いやいや、僕はバリバリ出てましたし、点も決めてました。須藤は、あそこでグレなければ。グレたんだよなぁ、明らかに(笑) ―その他に武勇伝とかありますか?...
【Vol.63】須藤・じゅんやのサッカートーク|ユニークレポート
東京世代ーー 1997年1月1日から2000年12月31日までに生まれた人を、サッカー界において、そう呼称する。 これは、オリンピックの男子サッカー競技に年齢制限(23歳以下)が設けられていることに起因しており、世代毎に参加資格を満たす大会を用いて、そのように表現される。 日本代表の東京世代としてはDF板倉滉やMF堂安律、MF三笘薫らが挙げられるほか、世界を見渡しても、FWキリアン・エンバペなどの傑出した才能の持ち主が集まっている。まさにこの世代は、“ゴールデンエイジ”なのだ。 DAZN NEWS『【サッカー日本代表】東京五輪はU-24で決定!注目される東京五輪世代100人リスト | 大会日程 | 年齢制限』より引用 そして、この黄金世代と同世代のYouTuberが、千葉県・津田沼にいる。中学校の同級生たちで結成された、だいにぐるーぷだ。 なかでも、須藤祥と永徳隼也はサッカー経験者であり、前者は「選手歴は小学2年生から中学3年生までで、主にフォワードやトップ下」、後者は「小学3年生から高校3年生までで、主にサイドバックやサイドハーフ」という。 もしかすると、YouTubeでの“金盾”ではなく、東京五輪での“金メダル”を目指して三笘らとプレーしていた…というIfの世界も排除できなくはないだろう。今回は、そんな中学時代のチームメイトによる、サッカー談議をお楽しみいただきたい。 ―サッカー少年だったおふたりは、どのような選手でしたか? じゅんや:僕は足が速かったので、始めた頃はセンターバックでしたが、小6のときの顧問の先生に、その足の速さを他で活かした方がいいんじゃないかと言われて、サイドハーフ、サイドバックに転向しました。それ以降は変わらず、という感じです。 じゅんや:あと、小学生の頃は、中村憲剛選手が好きでしたね。背番号が『14』だったんですけど、僕も『14』でそこもちょっと好きで。最近は、伊東純也選手が『14』つけてて、それに足が速くてサイドハーフで、名前も『じゅんや』で一緒で、めちゃくちゃ運命を感じています。 じゅんやが運命を感じた伊藤純也。画像は本人のXより引用。 須藤:俺は、ゴールは狙うけどどっちかというとドリブルの方が好きだったので、そうだなネイマール選手とかを参考にしていたかな。ゴールより人を抜いてる方が好きでした。 須藤:結構狭いエリアで敵と戦うのが好きで、1対1というよりも複数人を相手にしてました。なんか中1の頃は、監督が僕のことを好きでいてくれたんですよ。中3の試合にも結構出してくれてて。 須藤:ただ、さすがに中3の試合に出てた時はちょっと怖かったんで、そんなにドリブルせずに安牌のパスばっかりしてましたね(笑) ドリブルをする幼少期の須藤。この記事のためにアルバムから幼少期の写真を引っ張り出してきてくれた。 Q:サッカー部時代の印象に残っているエピソードはありますか? じゅんや:小学校は別だったんですけど、敵チームで対戦していたので、須藤のことを覚えていました、僕は。トップに、背は小さいけど足元超うまいやついたなと思っていたら、中学で再会したので、「あっ、コイツか」と。当の須藤は覚えていなくて、お前しらねぇよ、と言われたんですけどね。 須藤:えっ、俺そんな威圧的だった!? 須藤:俺は、中3くらいで挫折したんですよ。監督が変わって、その人は、誰かを好んで使うタイプじゃなくて、ちゃんと戦術家というか。そのときのポジションや役割に合った選手を起用する、という監督だったので。 須藤:最初に言われたのが、「お前はドリブルはまあまあ良いんだけど、身体小さくてフィジカルで負けるかな」で、それがショックすぎて…。そこから試合に徐々に出してもらえなくて、ピッチの外でグレてた奴と一緒にグレてました。 幼少期は有馬も一緒にサッカーをしていた。 須藤:中3のときはほとんどBチームで、たまにAチームという感じ。最後の大会も本当に出てなくて。じゅんやは、もうレギュラーにしがみついていたから、安牌のパスばっかりでしたが。 じゅんや:いやいや、僕はバリバリ出てましたし、点も決めてました。須藤は、あそこでグレなければ。グレたんだよなぁ、明らかに(笑) ―その他に武勇伝とかありますか?...
【Vol.62】よろしく、ソブリンVIP|ユニークレポート
土井谷の新しい相棒ー日産プレジデント ソブリンVIP ソブリンとは、直訳すると、「国王」や「君主」を表す言葉である。 日産プレジデントの最上級モデルであるソブリンVIPに一目惚れした男の、 両思いになるまでの紆余曲折とこれからの物語を紹介していこう。 土井谷が白セレナを手放し、ソブリンVIPを手に入れるまで ー今の車を選んだ決め手はなんですか? 土井谷:圧倒的に「見た目」ですね。 土井谷:今よりずっと前、コロナ禍くらいのタイミングで車を買おうと思っていて、その時にすごく色々車を調べていたんです。その時にこれだ!と一目惚れをしてずっと片想いをしていました。 土井谷:セダンタイプの車って、お尻の部分が大体丸みを帯びているんですけど、俺としては全て角ばっているのが理想系だったんです。 サブチャンネル『念願の社用車を買います』でもセダンタイプの旧車に惹かれていた土井谷 土井谷:それと、正面がめちゃくちゃカッコいいなという顔をしていたというところかな。それ以外は本当に何がいいとか全然ないです(笑) ー日産車というのにもこだわりがあるのですか? 土井谷:今というよりかは、昔の日産が良いですね。 土井谷:セダンで言うと、クラウンはTOYOTAで王道じゃないですか。日産は1位ではないけど、人気があるというか、そんな感じです。例えるなら、アメリカがTOYOTAでイギリスが日産みたいな?昔のフィッシャーズがTOYOTAなら、東海オンエアが日産みたいな? 土井谷:ちょっと後ろで、すかしてる感じがなんか俺みたいな感じでいいかなって。 ーサブで先日動画が上がって、かなり修理が必要な箇所がありましたが、進捗はいかがですか? 車登場シーンは27:42~ 土井谷:納車した日から上映会だったこともあって、冷房の修理もそうですし、ETCとかもまだ設置はできていません。 土井谷:冷房がないのが一番きついですね。この間も、雨の日に車を運転しているだけで汗をかいてきて、本当に辛かったです。なので、まずは冷房からかなと思っています。 ーハンドルも付け替えるんですか? 土井谷:先日サブチャンネルにも上がっていたと思うんですが、「ナルディ」というブランドのハンドルを7-8万で買ったので、それに付け替えたいですね。 サブチャンネル『土井谷が憧れの旧車を買いました』にて紹介されたNARDIの木製ハンドル 土井谷:自分では無理なので、プロに頼もうと思います。 ー新しい相棒と行きたい場所はありますか? 土井谷:本当にないです(笑) 土井谷:これいつまで動くんだろうという不安を常に持っているし、正直ケチくさい話ですけど、燃費もめちゃくちゃ悪いし、ガソリン代も気になります。 土井谷:だから、遠出とかどこか行きたいというのもほぼなくて、スタジオから家とか、都内に行くときとか、本当に街乗り用の車ですね。 サブチャンネル『土井谷の車がついに納車されました』より 土井谷:遠出する時に、ETCもなくて、冷房も効かない、フェンダーミラーで見にくい、音楽も聞けない俺の車は選ばれないでしょうね(笑) 土井谷:岩田のディフェンダーとか、じゅんやのヴェゼルとかの方がずっといいと思います。...
【Vol.62】よろしく、ソブリンVIP|ユニークレポート
土井谷の新しい相棒ー日産プレジデント ソブリンVIP ソブリンとは、直訳すると、「国王」や「君主」を表す言葉である。 日産プレジデントの最上級モデルであるソブリンVIPに一目惚れした男の、 両思いになるまでの紆余曲折とこれからの物語を紹介していこう。 土井谷が白セレナを手放し、ソブリンVIPを手に入れるまで ー今の車を選んだ決め手はなんですか? 土井谷:圧倒的に「見た目」ですね。 土井谷:今よりずっと前、コロナ禍くらいのタイミングで車を買おうと思っていて、その時にすごく色々車を調べていたんです。その時にこれだ!と一目惚れをしてずっと片想いをしていました。 土井谷:セダンタイプの車って、お尻の部分が大体丸みを帯びているんですけど、俺としては全て角ばっているのが理想系だったんです。 サブチャンネル『念願の社用車を買います』でもセダンタイプの旧車に惹かれていた土井谷 土井谷:それと、正面がめちゃくちゃカッコいいなという顔をしていたというところかな。それ以外は本当に何がいいとか全然ないです(笑) ー日産車というのにもこだわりがあるのですか? 土井谷:今というよりかは、昔の日産が良いですね。 土井谷:セダンで言うと、クラウンはTOYOTAで王道じゃないですか。日産は1位ではないけど、人気があるというか、そんな感じです。例えるなら、アメリカがTOYOTAでイギリスが日産みたいな?昔のフィッシャーズがTOYOTAなら、東海オンエアが日産みたいな? 土井谷:ちょっと後ろで、すかしてる感じがなんか俺みたいな感じでいいかなって。 ーサブで先日動画が上がって、かなり修理が必要な箇所がありましたが、進捗はいかがですか? 車登場シーンは27:42~ 土井谷:納車した日から上映会だったこともあって、冷房の修理もそうですし、ETCとかもまだ設置はできていません。 土井谷:冷房がないのが一番きついですね。この間も、雨の日に車を運転しているだけで汗をかいてきて、本当に辛かったです。なので、まずは冷房からかなと思っています。 ーハンドルも付け替えるんですか? 土井谷:先日サブチャンネルにも上がっていたと思うんですが、「ナルディ」というブランドのハンドルを7-8万で買ったので、それに付け替えたいですね。 サブチャンネル『土井谷が憧れの旧車を買いました』にて紹介されたNARDIの木製ハンドル 土井谷:自分では無理なので、プロに頼もうと思います。 ー新しい相棒と行きたい場所はありますか? 土井谷:本当にないです(笑) 土井谷:これいつまで動くんだろうという不安を常に持っているし、正直ケチくさい話ですけど、燃費もめちゃくちゃ悪いし、ガソリン代も気になります。 土井谷:だから、遠出とかどこか行きたいというのもほぼなくて、スタジオから家とか、都内に行くときとか、本当に街乗り用の車ですね。 サブチャンネル『土井谷の車がついに納車されました』より 土井谷:遠出する時に、ETCもなくて、冷房も効かない、フェンダーミラーで見にくい、音楽も聞けない俺の車は選ばれないでしょうね(笑) 土井谷:岩田のディフェンダーとか、じゅんやのヴェゼルとかの方がずっといいと思います。...
【Vol.61】DAI 2 MAGAZINEの裏側|デザインクルーレポート
だいにの世界観を、デザインで魅せる——。 先日公開された『DAI 2 MAGAZINEの裏側|ライタークルーレポート』では、ライタークルーの“言葉”で届けるこだわりに迫った。 そして今回紹介するのは、その言葉たちを“デザイン”で彩り、誌面として形づくった、デザインクルーの仕事についてだ。 今回の上映会で配布された『DAI 2 MAGAZINE Vol.5』は、先日千秋楽を迎えた『世界滅亡ドッキリ』の世界観を誌面へと昇華させた一冊だ。 だいにぐるーぷの作品がもつ熱量と美学を、どう誌面に落とし込んでいくのか。 MAGAZINEの誌面デザインを行ったデザインクルーの3名に話を伺った。 ー今回の”DAI 2 MAGAZINE Vol.5”にはどのくらいの制作期間を要しましたか? minami:制作の前にリファレンスを集めたり、ラフを作ったりと「どういう誌面にしようかな」と考える時間が結構あるので難しいですね。 minami:でも元々スケジュールがタイトだったので、ざっくり制作だけって感じなら1日1ページって感じですね。 ー”DAI 2 MAGAZINE”の制作にあたって意識していたことはありますか? koba:実は制作の段階って動画の中身をほぼ知らずに作っているんですよ。なので、送られてくる素材や、今回は誌面の制作中にティザー映像が上がってきたので、そういう数少ないヒントで「あ、こういう企画なんだ」と思いながら誌面を作っていました。 koba:今回の企画ではティザー映像の中で滅亡までのカウントダウンのところの文字で「こういうフォントのイメージなんだな」とか、バス停のシーンではカラーグレーディングで全体的に青白っぽい感じだったのでこういうトーンで色味を調整することでページの雰囲気を作品に落とし込めるかなと考えながらでしたね。 メインビジュアルにも使われたバス停のシーンは青と白のコントラストが特徴的。 なむあみ:私も同じで雰囲気を合わせるのはもちろんなんですけど、私が担当したページは情報量が多いものもあったので、見やすさと見たくなるようなわくわくするようなデザインを心がけています。 ー今回の”DAI 2 MAGAZINE”や過去の制作物で思い入れがあるもの等あれば教えてください。 koba:今回の誌面でいうなら、僕が担当した「須藤都市伝説紹介」は世界中のいろんな都市伝説を集めましたっていうページだったんです。構成はライターの旅人さんが作ってくれたんですが、そういうことならいろいろ詰め込んでやろうと思って。 koba:須藤さんも知らないようなちっちゃい小ネタをたくさん盛り込んでいるのでぜひ見つけてみてほしいです! kobaさんが盛り込んだ小ネタのひとつ。銀河鉄道と某ゆるキャラをかけているのだという。ほかの小ネタはぜひ誌面で探してほしい。...
【Vol.61】DAI 2 MAGAZINEの裏側|デザインクルーレポート
だいにの世界観を、デザインで魅せる——。 先日公開された『DAI 2 MAGAZINEの裏側|ライタークルーレポート』では、ライタークルーの“言葉”で届けるこだわりに迫った。 そして今回紹介するのは、その言葉たちを“デザイン”で彩り、誌面として形づくった、デザインクルーの仕事についてだ。 今回の上映会で配布された『DAI 2 MAGAZINE Vol.5』は、先日千秋楽を迎えた『世界滅亡ドッキリ』の世界観を誌面へと昇華させた一冊だ。 だいにぐるーぷの作品がもつ熱量と美学を、どう誌面に落とし込んでいくのか。 MAGAZINEの誌面デザインを行ったデザインクルーの3名に話を伺った。 ー今回の”DAI 2 MAGAZINE Vol.5”にはどのくらいの制作期間を要しましたか? minami:制作の前にリファレンスを集めたり、ラフを作ったりと「どういう誌面にしようかな」と考える時間が結構あるので難しいですね。 minami:でも元々スケジュールがタイトだったので、ざっくり制作だけって感じなら1日1ページって感じですね。 ー”DAI 2 MAGAZINE”の制作にあたって意識していたことはありますか? koba:実は制作の段階って動画の中身をほぼ知らずに作っているんですよ。なので、送られてくる素材や、今回は誌面の制作中にティザー映像が上がってきたので、そういう数少ないヒントで「あ、こういう企画なんだ」と思いながら誌面を作っていました。 koba:今回の企画ではティザー映像の中で滅亡までのカウントダウンのところの文字で「こういうフォントのイメージなんだな」とか、バス停のシーンではカラーグレーディングで全体的に青白っぽい感じだったのでこういうトーンで色味を調整することでページの雰囲気を作品に落とし込めるかなと考えながらでしたね。 メインビジュアルにも使われたバス停のシーンは青と白のコントラストが特徴的。 なむあみ:私も同じで雰囲気を合わせるのはもちろんなんですけど、私が担当したページは情報量が多いものもあったので、見やすさと見たくなるようなわくわくするようなデザインを心がけています。 ー今回の”DAI 2 MAGAZINE”や過去の制作物で思い入れがあるもの等あれば教えてください。 koba:今回の誌面でいうなら、僕が担当した「須藤都市伝説紹介」は世界中のいろんな都市伝説を集めましたっていうページだったんです。構成はライターの旅人さんが作ってくれたんですが、そういうことならいろいろ詰め込んでやろうと思って。 koba:須藤さんも知らないようなちっちゃい小ネタをたくさん盛り込んでいるのでぜひ見つけてみてほしいです! kobaさんが盛り込んだ小ネタのひとつ。銀河鉄道と某ゆるキャラをかけているのだという。ほかの小ネタはぜひ誌面で探してほしい。...
【Vol.60】DAI 2 MAGAZINEの裏側|ライタークルーレポート
ライタークルーの現場に迫る― 「DAI2 MAGAZINEは、いったいどのようにして作られているのか?」「どんな人たちが関わり、どのようなプロセスを経て1冊が完成するのか?」 そんな素朴な疑問を抱く読者も少なくないだろう。DAI2 MAGAZINEの背景には、企画の立案から取材、執筆、編集、デザインまで、多くの人々の手と想いが込められている。 本記事では、現ライタークルーリーダーのChopiさん、そして前リーダーの田中さんの二人に話を聞き、DAI2 MAGAZINEの制作現場やライタークルーの実態に迫っていく。 ーライタークルーとはどんな組織ですか? Chopi:現在、ライタークルーには8人のメンバーが在籍しています。最年少は大学生のちゃぴさんで、最年長は私ですね。年齢層は10歳ほどの幅があり、とても多様です。 Chopi:本業でライターをしているのは私と旅人さんの2人だけで、その他のメンバーは出版関係の仕事をしている方や、全く違う分野の社会人、大学生など、さまざまなバックグラウンドを持っています。経験や職業に関係なく、それぞれの視点や個性を活かして活動しているのが特徴です。 ー毎月、どんな活動をしているんですか? Chopi:毎月末には、ライタークルー担当の須藤さんを交えた定例会議を行っています。会議では、マガジンやレポートの制作進捗を共有したり、新しい取り組みについて話し合ったりですね。進行の流れはあらかじめ決まっていて、基本的にスムーズに進みます。 とある日の定例会議の様子(※3期時のもの)この日は4月のREPORT投稿スケジュール等が主な議題だった。 Chopi:また、毎月中旬ごろには、須藤さん抜きでライタークルーだけの企画会議も実施しています。企画会議では、スプレッドシートに各メンバーが事前に記入したアイデアをもとに、それぞれが発表・プレゼンし、実際に形にする企画を決めます。月によって変動はありますが、毎月4〜8本ほどのレポートを制作しています。 実際の企画シート。特別に実際に採用された企画の書き込みを公開。 ーこれまでのライタークルーの遍歴について教えてください。 田中:1期には4〜5人ほどのメンバーがいて、「yayayaさん」という方がマガジンの枠組みを最初に作ってくださいました。マガジンの基礎となる流れやフォーマットは、そのときにできあがったものです。 2024年の感謝祭で初めて配布されたVol.1 田中:2期から新たなメンバーが加わり、3期にyayayaさんが抜けたことで、より中心的に動けるメンバーを迎える必要がありました。私は3期からリーダーとなり、会議の進行や役割分担の明確化などを行いながら、運営体制を整えていきました。 田中:そして現在は、Chopiさんにリーダーを引き継いでいます。基本的にリーダー制度は指名制で、前任のリーダーが次のリーダーを決める形です。 ー企画はどのように生まれるのですか? Chopi:基本的にはスプレッドシートに各自が企画を記入し、企画会議でそれを発表します。そこでライタークルーのメンバーからより多くの票を集めたものが採用され、リーダーが須藤さんと相談しながら最終決定します。 Chopi:ただ、今回のDAI2 MAGAZINEのように、少し特殊なケースもあります。これは、西尾さん、田中さん、私の3人で話し合って、西尾さんが出してくれたアイデアをもとに企画を磨いていきました。 今回の「世界滅亡ドッキリ」で配布されたVol.5。人物相関図、都市伝説紹介、懸賞などの企画が3人の話し合いによって考案されたものだ。 ー執筆はどのように進めていますか? 田中:基本的には希望制です。企画会議で「これ書きたい人?」と呼びかけ、手を挙げた人が担当になります。被った場合は相談して決めます。 田中:原稿が完成したら、リーダーがフィードバックを行い、必要に応じて修正を加えます。その後、デザインクルーに原稿が渡されて、誌面のレイアウトが組まれます。レポート記事もほぼ同様の流れですが、最終的にはだいにのWebサイトに掲載される点が異なります。 ーAI時代におけるライタークルーの意義とは? 田中:AIが発達しても、人間が書くからこそ伝わる空気感や温度感は確実にあると思います。なるべく現場に同行して、その場所で感じたものを言葉にすることが大事かなと。人間味のある文章を常に意識しています。...
【Vol.60】DAI 2 MAGAZINEの裏側|ライタークルーレポート
ライタークルーの現場に迫る― 「DAI2 MAGAZINEは、いったいどのようにして作られているのか?」「どんな人たちが関わり、どのようなプロセスを経て1冊が完成するのか?」 そんな素朴な疑問を抱く読者も少なくないだろう。DAI2 MAGAZINEの背景には、企画の立案から取材、執筆、編集、デザインまで、多くの人々の手と想いが込められている。 本記事では、現ライタークルーリーダーのChopiさん、そして前リーダーの田中さんの二人に話を聞き、DAI2 MAGAZINEの制作現場やライタークルーの実態に迫っていく。 ーライタークルーとはどんな組織ですか? Chopi:現在、ライタークルーには8人のメンバーが在籍しています。最年少は大学生のちゃぴさんで、最年長は私ですね。年齢層は10歳ほどの幅があり、とても多様です。 Chopi:本業でライターをしているのは私と旅人さんの2人だけで、その他のメンバーは出版関係の仕事をしている方や、全く違う分野の社会人、大学生など、さまざまなバックグラウンドを持っています。経験や職業に関係なく、それぞれの視点や個性を活かして活動しているのが特徴です。 ー毎月、どんな活動をしているんですか? Chopi:毎月末には、ライタークルー担当の須藤さんを交えた定例会議を行っています。会議では、マガジンやレポートの制作進捗を共有したり、新しい取り組みについて話し合ったりですね。進行の流れはあらかじめ決まっていて、基本的にスムーズに進みます。 とある日の定例会議の様子(※3期時のもの)この日は4月のREPORT投稿スケジュール等が主な議題だった。 Chopi:また、毎月中旬ごろには、須藤さん抜きでライタークルーだけの企画会議も実施しています。企画会議では、スプレッドシートに各メンバーが事前に記入したアイデアをもとに、それぞれが発表・プレゼンし、実際に形にする企画を決めます。月によって変動はありますが、毎月4〜8本ほどのレポートを制作しています。 実際の企画シート。特別に実際に採用された企画の書き込みを公開。 ーこれまでのライタークルーの遍歴について教えてください。 田中:1期には4〜5人ほどのメンバーがいて、「yayayaさん」という方がマガジンの枠組みを最初に作ってくださいました。マガジンの基礎となる流れやフォーマットは、そのときにできあがったものです。 2024年の感謝祭で初めて配布されたVol.1 田中:2期から新たなメンバーが加わり、3期にyayayaさんが抜けたことで、より中心的に動けるメンバーを迎える必要がありました。私は3期からリーダーとなり、会議の進行や役割分担の明確化などを行いながら、運営体制を整えていきました。 田中:そして現在は、Chopiさんにリーダーを引き継いでいます。基本的にリーダー制度は指名制で、前任のリーダーが次のリーダーを決める形です。 ー企画はどのように生まれるのですか? Chopi:基本的にはスプレッドシートに各自が企画を記入し、企画会議でそれを発表します。そこでライタークルーのメンバーからより多くの票を集めたものが採用され、リーダーが須藤さんと相談しながら最終決定します。 Chopi:ただ、今回のDAI2 MAGAZINEのように、少し特殊なケースもあります。これは、西尾さん、田中さん、私の3人で話し合って、西尾さんが出してくれたアイデアをもとに企画を磨いていきました。 今回の「世界滅亡ドッキリ」で配布されたVol.5。人物相関図、都市伝説紹介、懸賞などの企画が3人の話し合いによって考案されたものだ。 ー執筆はどのように進めていますか? 田中:基本的には希望制です。企画会議で「これ書きたい人?」と呼びかけ、手を挙げた人が担当になります。被った場合は相談して決めます。 田中:原稿が完成したら、リーダーがフィードバックを行い、必要に応じて修正を加えます。その後、デザインクルーに原稿が渡されて、誌面のレイアウトが組まれます。レポート記事もほぼ同様の流れですが、最終的にはだいにのWebサイトに掲載される点が異なります。 ーAI時代におけるライタークルーの意義とは? 田中:AIが発達しても、人間が書くからこそ伝わる空気感や温度感は確実にあると思います。なるべく現場に同行して、その場所で感じたものを言葉にすることが大事かなと。人間味のある文章を常に意識しています。...
【Vol.59】Yahoo知恵袋の質問直接本人に投げかけてみた|ユニークレポート
Yahoo!知恵袋とはー Yahoo! JAPANが運営している日本最大級のQ&A(質問・回答)サービスである。 ユーザー同士が知識や経験を共有することを目的としたコミュニティ型のウェブサービスで、2004年にサービスが開始された。 100万人を超えるYouTuberであるだいにぐるーぷに関する質問も、もちろん数多く投稿されている。 Yahoo知恵袋に実際に寄せられただいにぐるーぷに関する質問の数々 そこで今回は、だいにぐるーぷに関する約210件の質問のうち、さまざまな意味で解決をしていない質問について本人たちに回答をしてもらった。 Q1 だいにぐるーぷ×レイクレの飯野だけ日焼けしていないのはなぜですか? 岩田:致死量の日焼け止めを塗っていたからです。 飯野:日焼け止めを塗りたくっていたからだと思われます。 飯野の美肌の秘訣についてはこちらの記事で詳しく紹介されている。 Q2 だいにぐるーぷと西園寺さんはどういった関係なんですか? 補足:現在だいにぐるーぷさんが鬼ごっこを配信されていると思うのですが振り返り配信で西園寺さんについて触れられてましたので気になりました 単純に西園寺さんの鬼ごっこ動画の元ネタがだいにぐるーぷという認識でよろしいのでしょうか? 飯野:非公認の弟という認識で大丈夫です。 須藤:元ネタは僕らです。西園寺さんとは正直なんも関係性ありません。一度僕らの生配信に西園寺さんがスーパーチャットを投げてくれたぐらいです。 メインチャンネルでの生配信「【公開直後生配信】1週間逃亡生活 -東京編-【Part6】」にて(該当シーンは7:41) Q3 「だいにぐるーぷ」というYouTuberが好きなのですが、似たようなYouTuberでおすすめを教えて欲しいです。 なるべく沢山の方から意見を頂きたいです 須藤:西園寺、コムドット、クレイジーマグネット サブチャンネル『「これはやられた」と度肝を抜かれたYouTuberの企画 TOP3』より(該当シーンは9:47) 西尾:「Lazy Lie Crazy(レイクレ)」がおすすめです。同じ5人組で掛け合いもテンポよく面白いですよ。 土井谷:二軍が盛り上がってる姿が好きなのであればスカイピースとかおすすめです!...
【Vol.59】Yahoo知恵袋の質問直接本人に投げかけてみた|ユニークレポート
Yahoo!知恵袋とはー Yahoo! JAPANが運営している日本最大級のQ&A(質問・回答)サービスである。 ユーザー同士が知識や経験を共有することを目的としたコミュニティ型のウェブサービスで、2004年にサービスが開始された。 100万人を超えるYouTuberであるだいにぐるーぷに関する質問も、もちろん数多く投稿されている。 Yahoo知恵袋に実際に寄せられただいにぐるーぷに関する質問の数々 そこで今回は、だいにぐるーぷに関する約210件の質問のうち、さまざまな意味で解決をしていない質問について本人たちに回答をしてもらった。 Q1 だいにぐるーぷ×レイクレの飯野だけ日焼けしていないのはなぜですか? 岩田:致死量の日焼け止めを塗っていたからです。 飯野:日焼け止めを塗りたくっていたからだと思われます。 飯野の美肌の秘訣についてはこちらの記事で詳しく紹介されている。 Q2 だいにぐるーぷと西園寺さんはどういった関係なんですか? 補足:現在だいにぐるーぷさんが鬼ごっこを配信されていると思うのですが振り返り配信で西園寺さんについて触れられてましたので気になりました 単純に西園寺さんの鬼ごっこ動画の元ネタがだいにぐるーぷという認識でよろしいのでしょうか? 飯野:非公認の弟という認識で大丈夫です。 須藤:元ネタは僕らです。西園寺さんとは正直なんも関係性ありません。一度僕らの生配信に西園寺さんがスーパーチャットを投げてくれたぐらいです。 メインチャンネルでの生配信「【公開直後生配信】1週間逃亡生活 -東京編-【Part6】」にて(該当シーンは7:41) Q3 「だいにぐるーぷ」というYouTuberが好きなのですが、似たようなYouTuberでおすすめを教えて欲しいです。 なるべく沢山の方から意見を頂きたいです 須藤:西園寺、コムドット、クレイジーマグネット サブチャンネル『「これはやられた」と度肝を抜かれたYouTuberの企画 TOP3』より(該当シーンは9:47) 西尾:「Lazy Lie Crazy(レイクレ)」がおすすめです。同じ5人組で掛け合いもテンポよく面白いですよ。 土井谷:二軍が盛り上がってる姿が好きなのであればスカイピースとかおすすめです!...