【Vol.14】7年間の軌跡|7周年記念レポート

【Vol.14】7年間の軌跡|7周年記念レポート

回り道を繰返し、それでも帆を張り、
誰も知らない海へ行く。

「だいにぐるーぷ」7周年記念インタビュー第2弾。

今回はリーダー・岩田涼太が「これまでのだいにぐるーぷの歩み」を語る。紆余曲折を繰り返してきたこれまで。そして向かう「だいにぐるーぷ」の次の目標とは?

必見のロングインタビュー。

ー「だいにぐるーぷ」の7年間の歩みはいかがでしたか?

岩田:今、僕がすごく思うこととしては、だいにぐるーぷは紆余曲折、たくさんの遠回りをしながら今のところにたどり着いたな。今の自分がもう1回、20歳に戻ってYouTubeを始めたとしたら半分ぐらいの時間、それこそ3年で今のところまでこれるな、とは思いますね(笑)。


2023年、紆余曲折の末手に入れた「金の盾」

岩田:でもその遠回りがあったからこそ、今の僕らが最後どうやってゴールするかの道筋は、かなり自信を持って決められるというか。無駄だったなって思ったことは一度もありません。

岩田:誰かの言う通りにしてきて、ここまで進んできたら、間違いはなかったかもしれません。けれど、いざ僕らがこれから誰も進んでこなかった道を進むときに、何の指針に沿ってどこに進めばいいのか、わからない状態におそらく陥ってしまう。ただ、今はあれだけ遠回りをしたのだから、明らかに「こっちだ」っ自信を持って進めるっていうのは思いますね。

―YouTubeの世界に飛び込んだ1年目。
身内ネタに終始した「東海オンエア」の劣化版


YouTube開設1年目に投稿していた動画

岩田:最初の1年は、僕らはとにかくYouTubeをなめてましたね。客観的に見れば「東海オンエア」の劣化みたいなことをしてて。変わった企画を自分たちの身内ネタでやって、面白いって思ってるけど、それは身内ネタを知ってる自分たちだけ…みたいな感じのことを1年間やってましたね

岩田:最初に始めたときは「1年で1万人いかなかったらやめよう」っていう話をしてたんですけど、1年経って1,000人も全然行ってなくて。だけど、1年やってきたからこそ、ちょっと編集技術がついたりとか、何となく見えてきたものがあったりして、「もうちょっとやってみようぜ」って半年ぐらい延長しました。

岩田:その最後の夏に「心霊スポットで1週間生活したら面白いんじゃないか」みたいな話になりました。

―転機となった西尾の「1週間心霊スポット生活」期


「心霊スポットで1週間生活してみた。」

岩田:でも『1週間心霊スポット生活』なんて「今の自分たちでどうやってやるの、お金ないよ?」みたいな話にやっぱりなりましたね。その結果「みんなでもうバイト代持ち寄ろう!」みたいな感じで当時大学生の僕らは一人1万5000円とか、とにかく集めて全部で8万円ぐらいかな。

岩田:の金額だったらできるっていうので、やってみたらそれが当たって。「すげえ!こんなことになるんだYouTubeって!」みたいな。登録者数が増えていくのが目に見えてわかりますしそれがすごく楽しかったです。

岩田:そこからもう1回、今度は別の人でやろうって言って、加藤とニキの2人で男女にしたり、いろいろ変えてやってみました。それもそこそこ伸びて、次はどうしようか、みたいな話になった時に、知り合いの人とかに「心霊関係でやっていった方がいいよ」みたいに結構言われました。

―グループを方向付けた
「1週間逃亡生活―津田沼編―」期


「1週間鬼ごっこで逃げ切ったら100万円」

岩田:「心霊」で当たって当時10万人ぐらいだったんで、「その人たちは実質『1週間心霊スポット生活』を見にきた人たちだから、心霊系でやった方がいいよ」みたいに言われて

岩田:「でも別に心霊がやりたいわけでもないしな」って考えてた中で、僕らは、1週間すごいところで生活するとか、編集をめっちゃ凝ったり、とにかく規模の大きい企画をやるYouTuberとしてやっていこうっていう方に舵を切りました


企画力と編集力に舵を切り始めた当時

岩田:その次に、1週間の鬼ごっこ(「1週間逃亡生活―津田沼編―」)をやるんですけど。『1週間心霊スポット生活』の心霊を残そうというよりは、1週間生活を残して、そこを変えて今度は鬼ごっこをやって、それがそこそこうまくいって。投稿頻度はあんまり上げられないけど、そういうちょっと規模の大きいことを、編集とかをめっちゃ凝ってやろうみたいな方向に決めましたね。

―事務所に入り、外の世界を知った
「無人島からの脱出」期


「1週間以内に無人島から脱出せよ」

岩田:そのタイミングぐらいで事務所から声かかって、入所の決断をしたんですけど、『無人島からの脱出』ぐらいから撮影も僕らだけでやるんじゃなくて、外部の人とかと一緒に何かを作るみたいな感じになりました。そのときは結構怒られましたね…。当時21歳とかだったんで、結構やばいことしてたんですよ。

岩田:例えば、ホテルの部屋で唐揚げ作るとか。『無人島からの脱出』の撮影でホテルに前泊する時に、お金ないから自分たちで自炊しようって、調理担当の須藤が飯作って、みんなで食べるっていう感じだったんですけど、須藤が普通に唐揚げ揚げ始めて。


部屋で揚げ物を揚げていた当時の様子

岩田:でも僕らも別にそんなにやばいことだと思ってなくて、「今日唐揚げなんだ」みたいな感じで普通に喜んでたら、外部の人から「いや、お前ら換気扇ないんだから!何やってんの!」って怒られて。「これ駄目なんだ…」みたいな。


「無人島からの脱出」撮影時の2019年当時の様子

岩田:とにかく常識がなかったんで、事務所の人とかは多分その辺をだいぶ苦労しながら、周りの対応とかもいろいろやってくれました。あの頃の僕らは本当にだらしなかったですね。

―満を持して挑んだはずだった
「1週間逃亡生活inアメリカ」期


「アメリカ全土で1週間鬼ごっこしてみた。」

岩田:そんな中で撮影した『アメリカ逃亡』が僕らの中での“1つの総決算”みたいな感じがありました。これまでやってきた「心霊スポット生活」から始まっていろいろ身につけていった編集技術とか、企画がどんどん規模が大きくなっていく感じとか、そこら辺もひっくるめ「自分たちの中での1つのゴールだな」みたいに思ってました。


1つの集大成として制作された「アメリカ逃亡」

岩田:そのときは、これをあげたらすごいことになると思ってましたね。「アメリカで鬼ごっこやるなんて、すごいでしょ」「他のYouTuberには出来ないでしょ」みたいな気持ちで動画を上げたんですよ。そしたらそこまで思ったほどの反響はなくて。そのぐらいのときからちょっと「あれ?」っていうのがありましたね。


「ビビリが心霊スポットで1週間生活してみた。」

岩田:階段を登ってきた感覚はあったし、登録者もすごい右肩上がりで伸びていってて、須藤の「心霊」で初めて急上昇1位とかも取れて。

岩田:「もうこれ時代来た!」みたいな感じになってて。ここで「アメリカ逃亡」を上げたらもっとすごいことになるなってワクワクしてましたただ蓋を開けてみれば、そんなことはありませんでした。

初めての急上昇1位を獲得した当時のポスト

 ―ファンを大切に出来なかった…
苦しんだ「樹海村」期


「樹海の不思議な村で1週間生活してみた」

岩田:その後に『樹海村』が上がるんですけど、これもそんなにはいかなくて。僕らの感覚としても「こんなすごい企画やったのに、見てくれる人の数はあんま変わんないんだ」「登録者がそんな増えるわけでもないんだ」みたいな感じの違和感がありました。

岩田:その頃は事務所も辞めて、内部的にもいろいろ大変だった時期だったんですよ。それまで「いけいけ、どんどん」だった「だいにぐるーぷ」が、「あれなんか止まったぞ?」っていう感覚がありました。これは今思うと、確実にコアなファンを大事にしてこなかったからだなと。今だから気付けますね。

岩田:その時期の僕らは、コアなファンと応援してくれる人たちに対して、ちょっ引いてみてたというか。「かっこいい」とか「かわいい」ってコメントに対して、「いや、そんなことで応援して欲しくないんだよな」「作品を見てくれ」みたいな。その人たちを大切にしようなんて気持ちもありませんでしたし。当時は今よりも「自分たちはクリエイターなんで」っていう方向でやってて。


当時を振り返る様子

岩田:そういう振る舞いをしてたら、当然コアなファン層がつくわけもなく、コア層が少なくなっていくと、グループとしてのエンジンとか熱量みたいなものが、ちょっとずつ冷めていって、そこが冷めていくとライトなファン層も同じだけ冷めていって...。

岩田:「だいにぐるーぷ」の頭打ちが来ちゃったんですよね。なんでなんだろうって当時は思ってましたね。今となっては、そういうコアな層をちゃんと大事にしてこなかったっていうのが、原因なんだなとは思ってるんですけど。

 ―渾身の作品でも壁を打ち破れなかった…
「無人島バトルロワイヤル」期


「未踏のジャングルへようこそ、無人島で戦いが始まる..!!」

岩田:「アメリカ逃亡」の1年半後ぐらいに上がったのが『無人島バトルロワイヤル』です。自分たちの中では企画もキャッチーだし、編集も凄まじく凝って、そして規模も壮大な、渾身の作品として世に出しました。

岩田:それでも結局いつも通りぐらいの数字にしかならなくて、「これでも駄目なんだ」と痛感しました。当時の僕は、企画を当てることや企画をバズらせることでしか、グループの登録者を伸ばせないって思い込んでたので、めっちゃへこんでましたね。

岩田:そこから「だいに」はだいぶ苦しい時期に入ります。金銭的には事務所に入ったときもきつかったんですけど、あの頃は「このまま伸びていけるんだ!」っていう期待感すら抱くのは難しい状況で…。

岩田:その頃は僕自身も、グループの状態も全部あんまり良くなくて。僕もいいリーダーじゃなかったなと思います。メンバーに対して、「何でこういうのやってくれないのかな」とか、失望じゃないですけど思ってしまったりとか僕が周りの経営者に影響を受けて「ちょっと俺、もう東京でるわ」みたいなこと言ったりとか。血迷ってたんじゃないですかね、あの時期は。

―再びの転機。発想を変えた
「世界一の心霊スポットで1週間生活してみた」期


世界一の心霊スポットで1週間生活してみた

岩田:考え方が変わったのは、メキシコの『人形島』からでした。実は、最初「人形島」は某メディアと一緒に企画をやる予定だったんですよ。僕らのYouTubeと某メディアを連動させる仕組みで制作予算を確保して、あの企画をやろうとしてたんです。でもとある事情でそれがダメになって。

岩田:そのときに当時一緒にやろうとしてた人が、「自分たちでBlu-rayを作ろう」と。「Blu-rayを作って販売して、制作予算分を確保することができれば、自分たちの好きなようにやれる」って言われたんです。


1週間心霊スポット生活 -幻の人形島編-

岩田:そこで「だいにぐるーぷ」は初めてBlu-rayを出します。思ってたよりは売れなかったんですけど。でも、今までやっていた企業からの案件でお金をもらって商品を紹介して、みたいなところよりも1段規模が大きくなったというか。それができたからこそ『冤罪』もついにできるな、みたいな。


「冤罪 もし、殺人容疑で逮捕されたら」

岩田:それができたからこそ「企画費がないから難しいよね」ってなってた「冤罪」をやれるようになって。ここから「だいにぐるーぷ」の動画の出し方がちょっとずつ変わっていきます。


新規事業として始めた「Blu-ray / PPV」

岩田:Blu-rayやペイパービュー(PPV)とか、上映会をやったりするっていう、自分たちが作る1本のコンテンツを、もっと思い出として形にできるとか、足を運んで見に行く体験があるとか、ただYouTubeの動画としてパッと上がってパッと見られて終わるというよりは、興行として考えようみたいな感じになっていきましたね。

そして見つけた、「だいにぐるーぷ」の道。
「海賊サバイバル」期


世界最果ての海で“王族の宝”をかけた大冒険が始まる..!!

岩田:そして、『1週間逃亡生活―東京編―』『ラスベガス人生逆転生活』、最新では『海賊サバイバル』をやることができました。企画がバズることはなかったとしても、興行的にはすごく大きなインパクトがありました。上映会の動員数で言ったら、「人形島」の頃は、最初300人とか400人ってレベルだったのが、最後の「海賊サバイバル」になったら2,000人規模になっていって。

岩田:僕らは「アメリカ逃亡」の時に足りなかったと思っていた、コアなファンの熱量がすごい増えてきているなっていうのを、今は肌で感じています。ここをもう1回盛り上げることによって、ライトな層ももう1回盛り上げることができるんじゃないかという気持ちになってます。

ー「だいにぐるーぷ」が次に向かうのはどこでしょうか?

岩田:「だいにぐるーぷ」なりの成功がしたいとは思っています。そもそもYouTuberの仕事をしてる時点でちょっと世間と外れてるんですけど、さらにYouTuberの中でも「だいにぐるーぷ」って、ちょっと違うポジションにいるので。


「だいにぐるーぷ」独自の路線を開拓

岩田:いわゆるYouTuberが成功してきた道筋っていうのは、曲を出して、Zeppでライブをしてみたいな。でも「だいにぐるーぷ」はそうじゃない。

岩田:YouTuberの中でも「クリエイター集団、だいにぐるーぷ」としてどう成功するかっていう、先人がまだいない状態に僕らはいるんです。その上で今、草をかき分けながら、進んでいってる感じなんですけど。最近、次のステップがちょっと見えたんですよ、自分の中で。多分あと2年、3年ぐらいで、ようやくそこにたどり着くと感じています。

ー「次のステップ」とは具体的にはどんなことでしょうか?

岩田:「Netflixで作品を作る」っていうのを、ずっと僕らの目標にしてきました。もちろんYouTubeのクリエイターの中でトップクラスに行って、その中でもNetflixで制作できるようなパワーと制作力をつけるつもりです。とてつもないコンテンツを作ることによって、「だいにぐるーぷ」を登録してる人だけじゃなく、なんなら世界中に何か届く作品を作りたいっていうのが今目指してるところです。

岩田:YouTubeの話で言うと、僕らが年に3回ぐらいやる企画をいろんな人が楽しみにしてて、「次は何の企画が上がるんだろう」「上映会行きたい」って思ってもらうとか、プレミア公開にいろんな人が来るとか、今やってるようなことがもっと話題になるような注目度にしたいなって思いますね。

岩田:それができるようになってきたら、Netflixとかそういう話ができたりするんじゃないかなと思ってます。 

ー7周年を踏まえて、最後に一言お願いします。

岩田:「だいにぐるーぷ」のこの先は僕には結構見えていて、それをやっていったときの将来の話をしたいと思います。

岩田:それは例えば、1年後に今の倍ぐらいの人が上映会に足を運んだりとか、「だいに」の動画に注目してみたりとか、今後「だいにぐるーぷ」がもっとメジャーになっていくときに「私達、もっと早くから『だいに』知ってましたよ」みたいな、「センスあるでしょ、私達」っていう風に、思ってもらえるような存在になると思うんです。


だいにぐるーぷの更なる次の一手「Not Found」

岩田:路上ライブでいうと、今僕らを目の前で見てくれるファンの人たちがいて、何年かかけて後ろにどんどん人が増えてきて、「押さないでください!」「ちょっと見えない」みたいな、そんな状態になったときに「ああ、私、こんな前で見てたんだ」って誇りに思ってもらえるように頑張ります。

岩田:今後、本当にいろんなことを計画してるんで、楽しみにしておいて欲しいです。面白い船なんで。

何度も回り道をして、道を見失って、紆余曲折しながらも、ここまでたどり着いた「だいにぐるーぷ」。100万人の船員を乗せて、船は前人未踏の大海原へと進んでいく。

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yayaya

だいにぐるーぷのメンバーシップ会員であり、ライタークルーの第1期リーダー。
DAI2 REPORT初回の「【Vol1】YTFF特集」を担当し、DAI2 REPORTのひな型作りに協力してくれた人物。

■主な執筆
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