服部 彰浩ー
2021年10月4日。X上にとある呟きがポストされた。
『この度、私服部は 「だいにぐるーぷ」に所属することになりました。彼らの目指す夢や目標の後押しをチートレベルでサポートしていきたいと思います』
多くのだいにぐるーぷファンからは驚きと戸惑いの声が上がった。「なんで?」「だいにぐるーぷに?」「そもそもこの人は誰?」
こうして津田沼の幼馴染集団の中に、たった1人で三重県からやってきた服部彰浩という男は、宣言通りにだいにぐるーぷをチートレベルでサポートした。近年のだいにぐるーぷの目覚ましい成長と活躍は服部なしでは考えられなかっただろう。
服部の笑いのセンス、冷静で俯瞰的な眼差し、そしてどんな時でも嘘をつかない直截的な物言いは、最初は戸惑っていたたくさんの視聴者を強く魅了しながらも、時には物議をかもすこともあった。まさに嵐のような男であった。
そして3年後の2024年11月。彼はこう宣言した。『僕は2025年 自身の成長と新たな挑戦のため、だいにぐるーぷを少しだけ離れる決断をしました』。
風のように現れ、だいにぐるーぷの背中を押し、新たな風を巻き起こし、時に嵐を呼んだ服部は、何を考えてどこに向かうのか。
だいにぐるーぷ随一の「語りたがらない男」が、ここだけの胸の内を明かしてくれた。
ー服部さんが三重県から上京して、千葉で活動している「だいにぐるーぷ」に加入することになったきっかけを教えてください。
服部:最初に僕のYouTubeチャンネルの登録者が100人も行くのか行かないかぐらいのときに、Twitterで飯野がツイートしてくれたっていうのがだいにぐるーぷに近づけた機会です。
服部:そもそも自分が化学会社を辞めて東京で何かしたいなと漠然と思ってたんですよ。そんな中、リスペクトしていただいにぐるーぷにツイートしてもらって、そこからDMでやり取りをして、サブチャンネルのアートワークとかを頼まれるようになって。
服部:それから少し経って僕から「スタジオに1週間だけ行って社会勉強させてほしい」って岩田に連絡して、そこからだいにぐるーぷに誘ってもらい、入ることになりました。
ーだいにぐるーぷのアートワーク(デザイン)を手掛ける上でこだわっていることは何ですか?
服部:テレビとYouTubeの間のデザインを目指してます。テレビを真似しちゃうともちろんテレビになっちゃうし、ネット配信番組みたいななんかちょっとコテコテの感じにしちゃうと視聴者がやっぱりどうしても離れちゃうし、よくいるYouTuberみたいにダサくはしたくないし…
服部:よくYouTuberが制作会社にお金を出して、クオリティ高い動画を 月に1本配信したりするじゃないですか。それを見てもやっぱり再生数ってあんまり良くないし、再生維持率もそんなに良くない。コテコテ&小奇麗なものじゃなくて、YouTuberっぽいんだけど、奇麗でシンプルめなテロップっていうのは意識してます。
服部の初アートワークがサブに採用された時の動画
ー3年間のだいにぐるーぷの活動の中で一番楽しかったことは何ですか?
服部:野球ですかね。初めて試合をしたときは負けたんですけど、その日の「やっと野球ができた!」っていう喜びとかが溢れて、みんな楽しんでたんですよ。打ち上げで、田上さんっていう元プロ野球選手とまさか自分が飲めるなんて思わなかったし。
津田ロッテ初の試合動画
服部:その時の居酒屋のビールがキンキンに冷えてて、めっちゃうまかったんですよ。あの日はやっぱり楽しかったですね。ずっとサブチャンネルで津田ロッテを追ってたマニアとして自分が参加できる事と津田ロッテの貴重な一戦目に関われたのはほんとに嬉しかったです。
服部:あと2024年の有観客の野球イベントも楽しかったですね。「PEDRO逃亡」も同時並行で行ってたので大変でしたけど(笑)。2025年に行う有観客野球イベントはたぶん逃亡期間中ではないので、来場する皆さんを喜ばせる仕組みや対戦相手を用意できると思うので、それも楽しみにしてほしいですね。
津田ロッテ初めての有観客試合動画


ー逆に3年間で一番辛かったことは何ですか?
服部:なんだかんだで編集は辛いですね。特に去年の「REBORN」は辛かったですね。時間もなかったし、僕と土井谷の飯野の3人だけでほぼほぼ作ったので。
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服部:あと、メンバーシップ感謝祭2024も辛かったですね。当日は勿論楽しかったんですけど、準備だったりとかでもう寝れなかったですね。イベント当日の朝の5時まで作業やってたんで。
服部:あとは感謝祭当日に入れなかった人がいるのが本当に辛くて…、やっぱり視聴者目線で考えるとわざわざ来たのに入れないとか、並んではいけないとか、思い出すと本当に辛いなって感じですね。
2024年2月18日に開催された『感謝祭』
ー服部さんは俯瞰で物事を見てくれて、強い意見も言ってくれ、それが強く支持される反面逆風もありました。だいにぐるーぷの中での服部さんが果たした役割についてお聞きしたいです。
服部:岩田にも言われたことがあって、僕もそう思うんですけど、「ライトな視聴者の目線で物を言える」っていうのがいいのかなとは思いましたね。ダサいものはダサいし、違和感を覚える時が多々あるので。僕が思ってることはまだ何個かあるんですけど(笑)

服部:ただ演者のモチベーションダウンに繋がることは絶対に言わないですけど。全部終わった後とかに「あれはおかしいよ」とか言っています。なので役割としては風紀委員みたいな感じだったのかなって個人的には思ってますね。
ーだいにぐるーぷからの卒業を考えたのはどうしてでしょうか?
服部:だいにに入って1年ぐらいの時から、仕事をお願いしたいって外部からの依頼が結構あって。当時は自分のことで大変だったし、それよりもだいにぐるーぷを押し上げることが大事だし、その当時はまだ登録者100万人いってなかったし、だいにぐるーぷでやることがたくさんあったので受けてなくて。
服部:僕はだいにぐるーぷの「メインチャンネル至上主義」なんで、サブチャンネル・メンバーシップを差し置いて、質が良くて、皆さんが驚くようなものをメインチャンネルで配信できる事が全てだったんですけど、20代のうちに個人的にやりたいことが増え、だいにぐるーぷという組織にいることでできない事が多くなったので、違う動きをとりつつもメインチャンネルに関わるのもいいのかって思いました。
服部:あと最近の岩田の動きを見て感化されたのはでかいですね。とにかく20代のうちに失敗も成功もしときたいな、という"挑戦"ですね。
服部:これからやりたいことがたくさんあるんですけど、どうしても2024年みたいなスケジュール感だと僕がやりたいこともできないし時間がないので、決断しました。でも、これからもだいにぐるーぷのメインチャンネルなどに携われるよう、精進します。
ーこれからやりたいこととは具体的になんですか?
服部:ホントにやりたいことは、好きなアーティストのMVなどにクリエイティブで携わるとかですかね。あとHIPHOPをはじめとする音楽イベントもクリエイティブディレクターとして立ち上げたいし、あと半分趣味なんですけど、野球チームを作ってコンテンツ化するのもありだなっていうのはありますね。

服部:新しいYouTubeチャンネル開設とか。また、谷口※1を使って海外でちょっとした企画もできたらと思いますし…。あとはこれから自分も少しだけメディアに立てるようには頑張ろうかなとは、今の段階では思ってますね。
※1 三重県時代の友人で、逃亡企画ではカメラマンとして参加している。
ーだいにぐるーぷにいた時とは、また別の顔が見れるということでしょうか?
服部:そうですね。別に、だいにぐるーぷの視聴者に「僕の行動を見てほしい」っていうことはないんですけど、僕を見届けてくれてる観察者たちがもしいるのなら、観察してても面白いんじゃないのかな。どこかで失敗するだろうし(笑)
ー最後にファンへのメッセージを。
服部:これからも、だいにぐるーぷの作品に関われるなら関わりたいし、みなさんが想像するほどそんなに離れ離れになるわけじゃないと思います。タイミングが合えばだいにぐるーぷの動画に映っちゃうかもしれないし。その時はお手柔らかにお願いします。
服部:なので、とにかくだいにぐるーぷを引き続き応援してほしいです。人生で会った中で最高にカッケー オモロいお兄ちゃんたちだし。
服部:今後の僕に関しては「黙って見とけ」って感じですね(笑)。
だいにぐるーぷを最初の宣言通りにチートレベルでサポートし続けた彼は、「黙って見とけ」と笑いながら彼らしい言葉を残した。
冷静で俯瞰的で、でも時に熱く温かく背中を押してくれた西からの風。きっとこれからは別の場所で別の形で、新たな嵐を巻き起こすのだろう。
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